中沼了三先生講書所跡 (京都市中京区)  
Ruins of Nakanuma,Ryozo's Private School
中沼了三先生講書所跡 中沼了三先生講書所跡
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石標、金属製の説明板は現在は失われていた。付近の敷石。  烏丸通夷川下ル東側に、「中沼了三先生講書之所(なかぬま-りょうぞう-せんせい-こうしょしょ-の-ところ)」という石標、金属製の説明板が立てられていた。現在は、失われている。
 かつてこの地には、江戸時代後期-近代の勤皇の儒者・中沼葵園(なかぬま-きえん)の塾があった。
◆歴史年表 江戸時代後期、1843年、中沼了三は、学舎「講書所」を開く。
 年代不詳、竹間教育会は、石標、説明板を立てている。
◆中沼葵園 江戸時代後期-近代の儒者・中沼葵園(なかぬま-きえん、1816-1896) 。名は之舜、通称は了三、号は葵園。隠岐(島根県)生まれ。父は医者・中沼養碩、母はテツの3男。1835年、上京し、聖護院の儒者・山崎闇斎の崎門(きもん)学派・鈴木遺音(いおん、恕平)に入門した。1843年、京都で学舎「講書所」を開いた。勤皇家であり大義名分論、尊王論を説き、尊攘派志士に多くの影響を与えたという。嘉永年間(1848-1854)、学習院儒官になる。1864年、大和十津川に文武館を創設した。維新後、新政府軍の軍事総裁・嘉彰(よしあき)親王(小松宮彰仁親王)の参謀になる。1869年、第122代・明治天皇の侍講になった。江戸幕府・昌平黌の一等教授になった。三条実美、上層と対立する。1870年、侍講を辞表している。1871年、攘夷派の公卿・愛宕通旭、外山光輔が明治新政府の転覆を謀った二卿事件(外山・愛宕事件)への関与を疑われ、位記返上、薩摩藩預けになった。冤罪として帰京した。1876年、熊本で起きた明治政府に対する士族反乱、神風連の乱(敬神党の乱)でも関与を疑われる。その後、大津で湖南学舎を開く。81歳。
 門人に元帥・西郷従道、西南戦争の西郷軍副総帥・桐野利秋、土佐の尊攘派志士・中岡慎太郎、日本海軍創設者の一人・川村純義らがあった。
◆鈴木遺音 江戸時代中期-後期の儒者・鈴木遺音(すずき-いおん、1783-1846)。名は棟、字は隆父、通称は恕平。京都の生まれ。山崎闇斎の学派・崎門(きもん)学派だった。門人に陽明学者・大塩平八郎、儒者・春日潜庵らがあった。64歳。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『新選組と幕末の京都』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 中沼了三先生講書所跡 京都市中京区西九軒町,烏丸通夷川下ル東側
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