閑栖寺 (滋賀県大津市)  
Kansei-ji Temple
閑栖寺 閑栖寺
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「大津絵の源流 追分絵 追分の絵師もしらじなけさの春 元禄二年(1689年) 和風」の句碑


手前が車道、左奥の一段上が人馬道(歩道)



車石


【参照】牛車、車道の再現図、牛には日除けの菰を被せている。説明パネルより




【参照】大津絵「鬼の(寒)念仏」、逢坂山の説明板より。
 


【参照】大津絵「鬼の(寒)念仏」
 旧東海道沿いに閑栖寺(かんせいじ)がある。山号は放光山という。境内には車道(くるまみち)が再現されている。
 真宗大谷派。
◆歴史年表 室町時代、1554年、西向が創建し、念仏道場を開いた。
◆西向 室町時代後期の真宗の僧・西向(?-?)。詳細不明。もとは武士だった。仏門に帰依し、念仏道場を開く。1554年、閑栖寺を創建した。
◆木像 「智証大師坐像」がある。平安時代前期の天台寺門宗宗祖・智証大師(円珍814-891)になる。
 江戸時代、1728年、三井寺・金乗院敬祐の発願により、村人の安穏、五穀豊穣祈願のために造立された。
◆建築 ◈「山門」は、長屋門になっている。南面している。門上に太鼓楼がある。太鼓は、東海道を往来する人々に時刻を知らせていた。
◆車石 境内一角に、「車石・車道研究会」の協力により車道(くるまみち)が再現されている。
 江戸時代、東海道には車石(くるまいし)が敷かれ車道が整備された。車道は荷(おもに米俵)を積んだ牛車の通行を容易にするための工夫だった。
 当寺門前にも坂道の車道があった。道は2面からなり、車石を敷いた車道と人馬道(歩道)があった。
 2つの車石が連続、並行して敷かれており、牛車の両輪は車石の軌道上を通行した。車石の間には砂利が敷かれ、牛はこの部分を通った。車石の轍跡は、車輪の摩耗により生じたといわれている。車石は、幅60㎝、厚さ20-30㎝。
 車石より一段高い人馬道(歩道)が車道に隣接、並行する形で造られていた。ここにも砂利が敷かれた。
 境内には、宝暦年間(1751-1764)に西原宗左ヱ門が用いたという車石がある。
◆大津絵の句碑 境内に、江戸時代の「大津絵の源流 追分絵 追分の絵師もしらじなけさの春 元禄二年(1689年) 和風」の句碑が立てられている。
 「大津絵」は、それまでは単に「追分・大谷近辺で売られる絵」と形容されていた。大津絵の言葉を使ってを詠んだ最初の句として、「大津絵の 筆のはじめは 何佛」がある。松尾芭蕉(1644-1694)が、江戸時代、元禄四年(1691年)に詠んだ。
 近年、大津絵研究者により和風の俳句が発見され、大津絵関連の俳句最古例とされている。
 大津絵は、江戸時代初期、寛永年間(西暦1624-1643)に、仏画より生まれた民画だった。当初は追分絵、大谷絵、後年に大津絵と総称された。当初は、近江の大谷・追分辺りで描き売られていた。キリスト教弾圧に伴う宗門改め以後は、庶民の免罪符の役割も担ったとみられている。
 大津の宿場の旅人に売られるようになり、仏画、風刺画、武者絵、美人画、鳥獣画などが残った。
◆文化財 本堂内陣余間の基礎石2基、斜め溝1基がある。
◆石標
  ◈門前脇に「東海道」の道標が立てられている。
  ◈「従是西寺門領」の石標がある。
◆水路 境内を流れている水路は、煉瓦敷になっている。近代の土木工学者・田辺朔郎(なべ さくお 、1861-1944) は、琵琶湖疏水の設計・工事を担当した。当寺に寄宿した際に、提言したという。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。
参考文献・資料  『山科事典』、ウェブサイト「大津絵の店」、駒札


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 閑栖寺 〒520-0063 滋賀県大津市横木1丁目2-2 phone 077-522-1041  
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