|
|
岩倉具視公旧蹟九兵衛宅跡 (京都市左京区岩倉) Site of Kyubei Residence |
|
岩倉具視公旧蹟九兵衛宅跡 | 岩倉具視公旧蹟九兵衛宅跡 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() 「岩倉具視公旧蹟九兵衛宅址」の石標 ![]() ![]() 「九兵衛ハ」と刻まれている。 ![]() 「難ヲ避ク」と刻まれている。 ![]() 【参照】付近にあった愛宕燈籠 |
岩倉花園町に、「岩倉具視公旧蹟九兵衛宅址(いわくら-ともみ-こう-きゅうせき-きゅうべえたく-あと)」の石標が立てられている。 「九兵衛ハ公ノ乳父ナリ公ノ岩倉村ニ潜ムヤ屡此ニ往来シテ難ヲ避ク」と刻まれている。 この地に、近代の公卿・政治家・岩倉具視の乳父(めのと)・九兵衛宅があった。 ◆歴史年表 江戸時代、1862年、具視が岩倉村に蟄居していた際に、九兵衛宅を訪ね、避難したこともあったという。 近代、1939年、 岩倉公旧蹟保存会により石標が立てられた。 ◆九兵衛 江戸時代後期-近代の農民・九兵衛(きゅうべい、?-?)。岩倉花園村の農民。岩倉具視(1825-1883)の乳母の夫になる。1862年、具視が岩倉村での幽棲中に、九兵衛は出向いて世話をした。具視は度々、九兵衛宅を訪ねていたという。具視が身の危険を感じた際には、九兵衛宅に身を隠し難を逃れたこともあったという。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都幕末地図本』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() |
|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
|