亀山稲荷神社・亀山藩京屋敷跡 (京都市下京区)  
Kameyama-inari Shrine
亀山稲荷神社・亀山藩京屋敷跡 亀山稲荷神社・亀山藩京屋敷跡
50音索引,Japanese alphabetical order    ホーム,Home 50音索引,Japanese alphabetical order    Home







白瀧大明神


花月大明神


丹波国亀山藩京屋敷跡の石標


手水舎



 松原通室町西入北側に、亀山稲荷神社(かめやま いりなり じんじゃ)が祀られている。
 鳥居脇に「丹波国亀山藩京屋敷跡」の石標が立つ。この地に、江戸時代には、芸州広島藩京屋敷、その後、丹波国亀山藩京屋敷跡が置かれた。
 亀山稲荷神社の祭神は、白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)、花月大明神(かげつだいみょうじん)になる。諸厄除災・商売繁昌・家庭円満の信仰を集めている。
◆歴史年表 江戸時代前期、この地には、芸州広島藩42万石の浅野氏松平安芸守の京屋敷があった。間口11間、奥行き30間あった。
 1730年頃、丹波篠山藩・松平信岑(まつだいら のぶみね)の京屋敷になる。亀山稲荷神社は、松原邸(京屋敷)鎮守の神として祀られた。 
 1748年、信岑は、丹波亀山藩に転封になる。京屋敷は同藩邸になる。以降、歴代亀山藩主は、幕府の要職になる。京都火消役に就き、譜代大名として京都監視の重責を担う。
 近代、近代、明治期(1868-1912)以降、亀山稲荷神社は中野之町(なかののちょう)が奉祀した。
 1870年、2月、民有地になる
 1874年、旧京屋敷3棟は、稲荷焼で類焼した修徳小学校の仮校舎に使用された。
 1892年、旧京屋敷棟は京都市第二高等小学校の校舎建設まで存続する。
 1916年、現在地に、旧亀山藩士有志により碑が立てられた。
 現代、1995年、中野之町町内会により石標が立てられた。
◆松平信岑 江戸時代中期の大名・松平信岑( まつだいら のぶみね、1696-1763) 。又七郎。松平信庸(のぶつね)の長男。1717年、丹波篠山藩藩主・松平(形原、かたのはら)家5代になる。奏者番、寺社奉行を務めた。1748年、丹波亀山藩に転封になり、丹波亀山藩藩主・松平家初代になる。
◆亀山稲荷神社 亀山稲荷神社は、亀山藩京都松平邸の鎮守神として祀られていた。祭神は白瀧大明神(しらたきだいみょうじん)、花月大明神(かげつだいみょうじん)になる。諸厄除災、商売繁盛、家庭円満の信仰がある。 
 かつて、両祠があり、江戸時代より崇敬され亀山講もあった。近代、明治期(1868-1912)以降は、中野之町が奉祀した。
 祭礼として、正月祭、初午祭、火焚祭を執行した。
◆亀山藩 亀山藩は、江戸時代に丹波国桑田郡亀山に藩庁があった譜代藩になる。藩領は桑田・船井郡、氷上郡、備中玉島にあった。1609年、下総国山崎藩の岡部長盛(1568-1632)が入り始まる。以後6大名が藩主になる。1748年、松平(形原、かたのはら)信岑(のぶみね)が丹波国篠山藩から入る。以後、近代まで松平氏8代が続く。1867年、京都市中取締役を務める。
 1868年-1869年、戊辰戦争では、藩は山陰道鎮撫使・西園寺公望に対し無血開城する。1869年、版籍奉還の際に「亀岡藩」に改称した。1871年に廃藩置県になる。
 旧藩からは、思想家・石田梅岩(1685-1744)、医師・山脇東洋(1706-1762)、画家・円山応挙(1733-1795)らを輩出した。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 「中野之町の駒札」、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area    周辺,surrounding area     関連,relevance      

本殿

「街角に残せし昔木の実 賛郎」?
 
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 亀山稲荷神社・亀山藩京屋敷跡 〒600-8435 京都市下京区中野之町179,松原通室町西入北側
50音索引,Japanese alphabetical order  ホーム,Home   top 50音索引,Japanese alphabetical order  ホーム,Home   top
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光