彦根藩邸跡 (京都市中京区)  
The ruins of residence of Hikone Domain
彦根藩邸跡 彦根藩邸跡
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 木屋町通三条下ル二筋目、高瀬川に架かる山崎橋西詰に、「彦根藩邸跡」の石標が立てられている。
◆歴史年表 江戸時代中期、烏丸通丸太町西入ルに京屋敷があった。
 1854年、13代藩主・井伊直弼は京都護衛のために、新たに現在地の木屋町通三条下ル二筋目に藩邸を置いた。
 現代、1968年、京都市により石標が立てられている。
◆彦根藩・京屋敷 彦根藩は、近江国彦根に藩庁をおいた譜代藩(1600年の関ヶ原の戦いの前から徳川氏の家臣)になる。幕政に参与し、西国大名に対する監察、京都守護の任があった。初代藩主・井伊直政(1561-1602)は、1604年に彦根城を築いた。以来、井伊氏が藩主になる。直弼 (1815-1860) は、1858 年に大老に就任し、勅許を待たず日米修好通商条約に調印した。14代将軍に紀州の慶福 (よしとみ。家茂) を決定する。1858年-1859年、尊攘派に対する弾圧の安政の大獄を起した。1860年に、直弼は桜田門外で攘夷者により暗殺された。後に藩論は勤王に転じる。1868年-1869年の戊辰戦争では新政府軍として転戦した。藩は、1871年の廃藩置県まで存続した。
 彦根藩京屋敷は、京都に3カ所にあった。江戸時代中期に当初は、烏丸通丸太町西入ルにあった。江戸時代後期、1854年、13代藩主・井伊直弼は京都護衛のために、新たに現在地の木屋町通三条下ル二筋目に設けている。石標のある西方の高瀬川と河原町通の間になる。藩邸の北側、南側に高瀬川の舟入があった。 なお、さらに、幕末期には寺町鞍馬口聖護院村にも置かれている。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 彦根藩邸跡 〒604-8031 京都市中京区大黒町67-3,木屋町通三条下ル二筋目山崎橋西詰
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