加賀藩邸跡 (京都市中京区)  
The ruins of residence of Kaga Domain
加賀藩邸跡 加賀藩邸跡
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「加賀藩邸跡」の石標
 木屋町通御池西南角の高瀬川沿いに、「加賀藩邸跡(かがはんていあと)」の石標が立てられている。
 江戸時代にこの付近には、加賀前田家の藩邸の広大な京屋敷があった。
◆歴史年表 江戸時代初期、加賀藩邸京屋敷が置かれた。高瀬川に加賀橋と描かれていた。
 1864年、6月5日(新暦7月8日)、長州藩士・吉田稔麿は、藩邸門前で追手の会津藩藩士との乱闘により斬られたともいう。(池田屋事件)
 1788年、天明の大火により藩邸は焼失する。
 その後、現在地(御池通河原町東)の高瀬川筋に広大な邸が再建される。
 近代、明治維新後に藩邸は上知された。一時は府知事邸になる。
 1945年、太平洋戦争(1941-1945)末期に建物疎開で取り壊され、御池通の一部になる。
 現代、1968年、京都市により石標が立てられた。
◆加賀藩・京藩邸 加賀藩は、江戸時代、加賀国石川郡金沢に藩庁を置いた。加賀国、能登国、越中国3国の大部分と近国を有した。大藩であり「加賀百万石」と称された。前田藩とも呼ばれる。外様藩でありながら、御三家に準ずる待遇を受けた。藩祖は前田利家(1538-1599)以降、代々の前田氏による。
 京屋敷は、江戸時代、寛永年間(1624-1644)に一条烏丸西入ル北側にあった。その後、現在地に広大な屋敷が置かれる。さらに、幕末期に鴨川東、仁王門通(現在の岡崎公園の一部)にもあった。藩邸には留守役が詰め、町人の御用掛を指名して御用掛が事務に当たった。
 幕末に加賀藩は積極的な動きをしなかった。1866年、鳥羽・伏見の戦に出兵し、幕軍の敗北により引き返している。1868年-1869年、戊辰戦争には官軍側に付き北越で戦った。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 京都市の駒札、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都大事典』、『新選組と幕末の京都』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 加賀藩邸跡 〒604-8001 京都市中京区上大阪町,木屋町通御池西南角
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