藤原順子 後山階陵・たたら遺跡 (京都市山科区)  
grand empress dowager Fujiwara no, Nobuko
藤原順子 後山階陵  藤原順子 後山階陵 
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「後山階御陵遺跡」の石標




後山階(のちのやましな)御陵




「仁明天皇皇后 藤原順子後山階陵」の石標




【参照】たたら遺跡跡の石標


【参照】後山階陵遺跡周辺、たたら製鉄法による玉鋼(たまがね)の断片
 山科区御陵(みささぎ)に後山階陵 (のちの-やましな-の-みささぎ)がある。平安時代前期の第54代・仁明天皇の女御・藤原順子(ふじわら-の-のぶこ)が葬られている。
 「仁明天皇女御 尊称太皇太后順子 後山階陵」とも呼ばれている。
◆歴史年表 平安時代、871年、9月28日、藤原順子は亡くなる。後山階陵に葬られた。(『日本三代実録』)
◆藤原順子 平安時代前期の第54代・仁明天皇の女御・藤原順子(ふじわら-の-のぶこ/じゅんし、809-871)。五条后。北家・藤原冬嗣(ふゆつぐ)の娘。母は尚侍・藤原美都子。仁明天皇の東宮時代に後宮に入り、827年、道康親王(第55代・文徳天皇)を産む。833年、仁明天皇の即位に伴い、女御になり従四位に叙される。842年、承和の変で、恒貞親王が廃太子され、道康親王が立太子した。生母として従三位に叙せられた。850年、文徳天皇の即位により皇太夫人になる。854年、皇太后になる。858年、子・文徳天皇が亡くなる。東大寺戒壇諸僧から大乗戒を受ける。9歳の孫・清和天皇の生母・明子(あきらけいこ)を助け東五条宮に移り、五条后と呼ばれた。861年、天台座主・円仁により菩薩戒を受け出家した。864年、太皇太后になる。63歳。
 情厚く容姿美麗だったという。仏教に帰依し、安祥寺を建立した。
 陵墓は安祥寺の北の山腹にある後山階陵(山科区)になる。
◆陵名 陵号の後山階陵は、かつて醍醐天皇陵である後山科陵と同じだった。その後、現在の「後山階陵」になった。
◆たたら遺跡 後山階(のちのやましな)陵付近の谷あい、雑木林(御陵沢ノ川町、安朱東谷飛地、安朱稲荷山町)には、古代製鉄たたら跡の「後山階陵遺跡」がある。推定遺跡の面積は24000㎡になる。
 飛鳥時代(奈良時代前期とも)、6世紀-7世紀、安祥寺川沿いの現在の後山階陵付近で砂鉄を原料として製鉄が行われていた。木炭の燃焼熱により還元し製鉄していた。周辺からは、たたら跡、鉱滓などが見つかっている。ただ、遺跡の一部は、陵の造営時に破壊されたという。炉の形状は「半地下式竪型炉」とみられている。
 「たたら(蹈鞴)」の本来の意味は「踏みふいご」であり、その後、鉄製錬の炉も意味した。「たたら」の語源は諸説あり、蒙古族のダッタン語の「タタトル」(猛火)、古代インド語・サンスクリット語「タータラ」(熱)、ヒンディー語の「サケラー」(鋼)にあるともいう。
 たたら製鉄法は、前1500年-前2000年頃、アナトリア半島のヒッタイトで生まれ、インド、中国江南、朝鮮半島南部を経て、6世紀(古墳時代後期)に日本へ伝えられたとみられている。


54 仁明天皇 (在位:833-850) →55 文徳天皇 (在位:850-858) →56 清和天皇 (在位:858-876)


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。
*参考文献・資料 『歴代天皇・皇后総覧』、『歴代皇后125代総覧』、『歴代天皇年号事典』、『山科の歴史を歩く』、 『山科事典』、ウェブサイト「日立金属  たたらの話 」、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺安祥寺・山階寺   周辺   関連歴代天皇データ     
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map 藤原順子 後山階陵  〒607-8401 京都市山科区御陵沢ノ川町
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