上醍醐陵 (京都市伏見区)  
Imperial mausoleum of kamidaigo-no-misasagi
上醍醐陵  上醍醐陵 
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 上醍醐の山頂付近、開山堂に隣接して上醍醐陵(かみだいご の みささぎ)がある。この地には、かつて上醍醐の醍醐寺子院・円光院があった。
 陵には、平安時代の4人の女性、第72代・白河天皇皇后・藤原賢子(けんし)、白河天皇皇女・媞子(ていし)内親王、白河天皇皇女・令子(れいし)内親王、同域に第74代・鳥羽天皇皇女・禧子(きし)内親王がそれぞれ葬られている。
◆歴史年表 平安時代、1084、第72代・白河天皇の中宮・藤原賢子が亡くなる。
 1085年、藤原賢子の御願により、上醍醐醍醐山上に子院・円光院が創建された。賢子の遺骨が納められる。 
 近代、明治期(1868-1912)、修陵に伴い円光院は撤去されたという。
◆藤原賢子 平安時代中期-後期の第72代・白河天皇の中宮・藤原賢子(ふじわら の けんし/かたこ、1057-1084)。源顕房(あきふさ)の娘。母は源隆俊の娘・隆子。藤原師実(もろざね)の養女になる。1071年、皇太子妃、1074年、中宮になる。以後、父・顕房は宮廷で権勢を振るう。同年、敦文(あつふみ)親王を産む。その後、媞子内親王(郁芳門院)、1079年、善仁(たるひと)親王(第73代・堀河天皇)、令子内親王、禎子内親王らを産む。1084年、三条第で亡くなる。28歳。
 鳥辺野で火葬にされ、1085年、醍醐山上の円光院に納骨された。贈太皇太后。
 陵墓は上醍醐陵(伏見区)にある。
◆郁芳門院 平安時代後期の皇族・郁芳門院(いくほう もんいん、1076-1096)。媞子(ていし/やすこ)。六条院。第72代・白河天皇第1皇女。母は贈皇太后・藤原賢子。1078年、准三宮、伊勢斎宮になった。1084 年、母・賢子の喪により斎宮を退下し、六条殿に住した。1091年、弟・堀河天皇の准母として中宮になる。天皇の妻以外で就いた后位の初例になる。1093年、院号宣下を受けた。1096年、亡くなる。21歳。
 郁芳門院は、父・白河上皇の寵愛を受け、上皇は没後の翌々日に出家している。上醍醐の円光院に葬られた。陵墓は上醍醐陵(伏見区)にある。
◆令子内親王 平安時代後期の皇族・令子内親王(れいし ないしんのう、1078-1144) 。二条太皇太后、二条の大宮。第72代・白河天皇の第3皇女。母は右大臣・源顕房の娘・藤原賢子(けんし)。摂関家・藤原師実・源麗子夫妻に養育される。1084年、准三宮。1089年、賀茂斎院になる。1099年、病により賀茂斎院を退く。1107年、弟の第73代・堀河天皇が亡くなり、幼少の甥・第74代・鳥羽天皇の准母として皇后(非妻后)になる。1129年、父・白河法皇の死去により出家した。1134年、太皇太后になる。
 歌会を開き、サロンを形成した。仕えた女房は摂津(藤原実宗の娘)、大弐(藤原通宗の娘)、六条(源顕仲の娘、待賢門院堀河)など数多い。陵墓は上醍醐陵(伏見区)にある。
◆禧子内親王 平安時代後期の禧子内親王(きし ないしんのう、1122-1133)。第74代・鳥羽天皇の第1皇女。母は待賢門院。1128年、一品、准三宮になる。1132年、賀茂斎院になった。1133年、病気のために賀茂斎院を退く。同年、亡くなる。12歳。
 陵墓は上醍醐陵(伏見区)にある。
◆陵墓 上醍醐の山頂付近、開山堂前に、「上醍醐陵(かみだいごのみささぎ)」がある。南面した円墳であり、3陵1墓になる。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『歴代天皇・皇后総覧』『京都・山城寺院神社大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 上醍醐陵 〒601-1383 京都市伏見区醍醐醍醐山
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