崇光天皇 大光明寺陵 (京都市伏見区)  
Imperial mausoleum of Emperor Suko
崇光天皇 大光明寺陵 崇光天皇 大光明寺陵
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崇光天皇 大光明寺陵」の石標





 桃山町泰長老(ももやまちょう たいちょうろう)に、大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)がある。
 南北朝時代の北朝第3代・崇光天皇(すこう てんのう)、その孫・伏見宮貞成親王、北朝第2代・光明天皇の3人が葬られている。
◆歴史年表 室町時代、1398年、1月13日、崇光天皇は伏見殿で没し、1月17日、大光明寺に遷された。1月23日、大光明寺で火葬、葬送された。足利義満は伏見殿を没収する。(『椿葉記』)
 1417年、2月12日、伏見宮治仁王が亡くなる。2月15日、伏見・蔵光庵で荼毘に付された。3月13日、大光明寺陵に納骨、葬られる。
 安土・桃山時代、1592年以降、豊臣秀吉の伏見城築城に伴い、天皇陵は破壊され消滅した。
 近代、1864年、当地を崇光天皇陵とした。
 明治期(1868-1912)、大光明寺陵として整備されている。
 1911年、天皇家はそれまでの北朝系より南朝系が正統とされ、それに伴い光明天皇、崇光天皇は歴代より外される。その後も大光明寺陵は存続し、宮内庁が管理している。
崇光天皇 南北朝時代の北朝第3代・崇光天皇(すこう てんのう、1334-1398)。興仁(おきひと)、益仁(ますひと)、伏見殿、法名は勝円心。北朝初代・光厳天皇の第1皇子。母は正親町公秀の娘・陽禄門院藤原秀子(しゅうし)。1338年、叔父・光明天皇の皇太子に立てられた。1348年、践祚、1349年、即位した。光厳上皇が院政を敷く。足利家の内紛から観応の擾乱が起こり、大嘗会は行えなかった。1351年、足利尊氏と南朝に下った直義の兄弟抗争が激化した。尊氏はやむなく南朝と和睦する正平一統(しょうへい いっとう)が成立した。南朝の第97代・後村上天皇は京都に迎えられ、北朝は廃される。崇光天皇、皇太子・直仁親王(第95代・花園天皇皇子)は廃立される。崇光天皇は太上天皇の尊号を受けた。1352年、南朝軍が京都へ侵攻、占拠し、足利義詮を一時的に追う。南軍により、崇光上皇、光厳上皇、光明上皇、直仁親王は共に、南朝の本拠・吉野の賀名生(あのう)へ拉致され、幽閉された。幕府は、祖母・広義門院を担ぎ、弟・弥仁(みつひと)親王(後光厳天皇)を即位させる。崇光上皇は以後、賀名生で2年、河内金剛寺で3年あまりの幽閉生活を送る。1357年、光厳院、直仁親王と共に帰京し伏見殿に居住する。幕府に、子孫への皇位断念を誓約させられた。皇子・栄仁親王(伏見宮初代)の立太子はかなわず、1370年、後光厳天皇の皇子・緒仁(おひと)親王(北朝第5代・後円融天皇)が皇位継承した。1392年、出家する。伏見仙洞で亡くなる。なお、皇統は後に第102代・後花園天皇に継がれた。
 伏見宮家の祖になる。和琴、神楽に秀で、琵琶は伏見宮家初代に栄仁親王に伝わる。和歌は、持明院統の京極派の歌風で、伏見殿での歌会などを催した。日記に『崇光院御記』がある。
 陵墓は大光明寺陵(伏見区)になる。
◆伏見宮治仁王 南北朝時代-室町時代の皇族・伏見宮治仁王(ふしみのみや はるひとおう、1370-1417)。法名は景衍、法号は葆光院。北朝第3代・崇光天皇の第1皇子・栄仁(よしひと)親王の皇子、母は三条実治の娘・藤原治子(西御方)。伏見宮第2代当主。1408年、元服する。1416年、父没後に宮家を相続した。その後、急逝した。臨済宗・絶海中津(ぜっかい ちゅうしん)に学ぶ。琵琶をよくした。
 陵墓は大光明寺陵(伏見区)になる。
◆陵墓 大光明寺陵には、持統院統(北朝)の第2代・光明天皇、第3代・崇光天皇、崇光天皇の孫・伏見宮貞成親王の3人が葬られている。陵形は、円丘であり北面している。空堀がある。
 大光明寺は、光明天皇の父・後伏見天皇の菩提を弔うために建立された。持統院統にゆかりの深い伏見殿に隣接して建てられていた。
 崇光天皇は、南朝による抑留生活後に京都に戻ることが許され、伏見殿に隠棲した。晩年は、大光明寺に帰依した。1398年1月13日、崇光天皇は伏見殿で没した。1月17日、大光明寺に遷される。1月23日、大光明寺で火葬、葬送され葬られた。
 安土・桃山時代、1592年以降、豊臣秀吉の伏見城築城に伴い、天皇陵は破壊され消滅した。近代、1864年、当地を崇光天皇陵としている。天皇は大光明寺に納骨されたとみられ、地名の「秦長老(兌長老)」に因んだ。明治期(1868-1912)に大光明寺陵として整備されている。
 1911年、天皇家はそれまでの北朝系より南朝系が正統とされ、それに伴い光明天皇、崇光天皇は歴代より外される。その後も大光明寺陵は存続し、宮内庁が管理している。


北1 光厳天皇(在位:1331-1333)→北2 光明天皇(在位:1336-13481) →北3 崇光天皇(在位:1348-1351) →北4 後光厳天皇(在位:1352-1371)

95 花園天皇(在位:1308-1318)→ 96 後醍醐天皇 (在位:1318-1339)→97 後村上天皇(在位:1339-1368)


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『図説天皇陵』『歴代天皇年号事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 崇光天皇 大光明寺陵 〒612-8034 京都市伏見区桃山町秦長老
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