崇徳天皇皇后 聖子月輪南陵 (京都市東山区)  
Imperial mausoleum of Empress Seishi
崇徳天皇皇后 聖子月輪南陵 崇徳天皇皇后 聖子月輪南陵
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 月輪南陵(つきのわ の みなみ の みささぎ)は、仲恭天皇九条陵の参道途中の高台にある。
 平安時代後期の第75代・崇徳天皇皇后・ 藤原聖子(ふじわら の せいし)が葬られている。
◆歴史年表 詳細は不明。
 平安時代、1181年、12月4日(新暦1月10日)、藤原聖子が亡くなる。最勝金剛院に葬られた。
◆藤原聖子 平安時代末期の第75代・崇徳天皇皇后・藤原聖子(ふじわら の せいし、1122?-1181)。皇嘉門院(こうかもんいん)。関白・藤原忠通(ただみち)の長女。母は藤原宗通(むねみち)の娘・宗子。1128年、従三位、1129年、8歳で入内して第75代・崇徳天皇の女御になる。1130年、中宮(皇后)になる。1139年、鳥羽上皇(第74代)の皇子・躰仁(なりひと)親王(第76代・近衛天皇)を猶子とし、忠通が外祖父になる。1141年、崇徳天皇は譲位し、近衛天皇が即位した。それに伴い、皇太后になり准母になる。1150年、院号が宣下された。1156年、保元の乱で崇徳天皇が讃岐に配流された。剃髪して清浄恵と称した。1163年、蓮覚(れんがく)に改める。その後、父・忠通は、母・宗子の持仏堂・最勝金剛院領などの所領(皇嘉門院領)を聖子に譲る。1180年、所領の大半を甥・養子・九条良通に譲った。後の九条家領の基礎になる。
 陵墓は月輪南陵(伏見区)になる。
◆陵墓 丘上に築かれた円墳であり、北東面している。


74 鳥羽天皇 (在位:1107-1123)→75 崇徳天皇 (在位:1123-1141)→76 近衛天皇 (在位:1141-1155)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『歴代 天皇・皇后総覧』、ウェブサイト「コトバンク」


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「崇徳天皇中宮 皇嘉門院月輪南陵」の石標
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map 崇徳天皇皇后聖子月輪南陵 〒605-0981 京都市東山区本町15丁目
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