忠成公隠棲之地 (三条実万幽居跡) (京都市左京区)  
Old Retirement House of Sanjo Sanetsumu
忠成公隠棲之地 (三条実万幽居跡) 忠成公隠棲之地 (三条実万幽居跡)
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「忠成公隠棲之地」


「三條公隠棲地 購入及び設備寄附」の石標


【参照】薬師堂

【参照】薬師堂


【参照】近くの愛宕燈籠
 一乗寺堀ノ内町の薬師堂の東隣に、「忠成公隠棲之地(ただなりこう-いんせい-の-ち)」という巨大な石碑が立てられている。
 忠成公とは、公家・三条実万であり、この地は最晩年を過ごした幽居跡になっている。
◆歴史年表 江戸時代、1859年、3月27日、三条実万は、隠棲先の洛南上津屋村より、一乗村の渡辺仲助の屋敷(6畳2間ほど)に移った。その後、10月6日、この地で亡くなる。 
 近代、明治期(1868-1912)中期、渡辺邸は荒廃する。その後、取り壊された。
 1885年、実万の邸跡(上京区広小路)に、実万とその子・実美(さねとみ)を祭神にして梨木神社が創建された。
 1937年、現在地に熊谷直之ほかにより碑が立てられた。
◆三条実万 江戸時代後期の公卿・三条実万(さんじょう-さねつむ、1802-1859)。三條實萬。幼名は千代麿、号は虚中、法号は澹空。三条公修の子。子に三条公睦、三条実美ほか。1824年、権大納言、1848年、武家伝奏として対米政策について幕府と交渉を重ねる。1857年、内大臣、1859年、日米修好通商条約への勅許を巡り、島津斉彬らと一橋慶喜の擁立に尽力した。関白・九条尚忠と対立し、左大臣・近衛忠煕とともに参内停止を命じられた。だが、第121代・孝明天皇は参内の勅命を下す。1859年、安政の大獄で落飾、謹慎に処せられ、洛南上津屋村に隠棲した。その後、一乗寺村に幽居になる。出家し澹空と号した。「今天神」と呼ばれ、第119代・光格天皇、第120代・仁孝天皇、孝明天皇に仕えた。58歳。
 没後、1862年、右大臣、1899年、正一位が追贈された。第122代・明治天皇により「忠成(ただなり)」と追諡(ついし)された。
◆渡辺仲助 江戸時代の渡辺仲助(?-? )、詳細不明。曼殊院の臣。一乗寺の自宅屋敷に、三条実万が晩年の7カ月を過ごした。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献・資料 『昭和京都名所図会 3 洛北』、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」 、ウェブサイト「コトバンク」


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map 忠成公隠棲之地(三条実万幽居跡) 〒606-8143 京都市左京区一乗寺堀ノ内町
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