是住院 (京都市西京区)
Zeju-in Temple
是住院 是住院 
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「富岡家墓所」の石標


本堂


本堂








瘞筆塚(えいひつづか)

 是住院(ぜじゅういん) は、かつて大雲院の塔頭の一つであり、後に独立した。富岡鉄斎の墓がある。
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1590年、運誉文貞により開基される。大雲院の境内塔頭の一つであり旧地(下京区、寺町通四条下ル高島屋裏付近)にあった。
 江戸時代、1788年、天明の大火により焼失した。
 1820年、散誉全海により再建される。
 現代、1973年/1972年、大雲院は髙島屋京都店の増床に伴い、現在地(東山区)の大倉邸内に移転した。是住院は旧地に残る。
 1984年、是住院は現在地(西京区)に移転した。
◆運誉文貞 安土・桃山時代の浄土宗の僧・運誉文貞(?-?)。詳細不明。1590年、是住院を開山した。
◆散誉全海 江戸時代後期の浄土宗の僧・散誉全海(?-?)。詳細不明。1820年、是住院を再建した。
◆富岡鉄斎  江戸時代後期-近代の儒者・南画家・富岡鉄斎(とみおか-てっさい、1836-1924)。京都の生まれ。名は猷輔、道節、百練。字は無倦(むけん)、号は裕軒、鉄斎、鉄崖、鉄道人など多い。三条室町の法衣商・十一屋伝兵衛・富岡維叙(これのぶ)の次男。家は石門心学を家学とした。15歳頃、平田篤胤門人・大国隆正に国学、岩垣月洲に儒学を学ぶ。19歳頃、大角南耕、窪田雪鷹に南画を学ぶ。20歳頃(15歳頃とも)、心性寺(しんしょうじ)の大田垣蓮月の学僕として住み込み影響を受けた。春日潜庵に陽明学、梅田雲浜に学ぶ。勤王家と親交があった。頼三樹三郎、板倉槐堂、藤本鉄石、山中信天翁、木戸孝允、貫名海屋、中島棕隠らと親交する。近代以降、各地を旅行し、奈良・石上神宮、和泉・大鳥神社、嵯峨・車折神社宮司(1888-1896)になる。1881年、京都に帰り画業に専念した。1896年、田能村直入、谷口藹山らと日本南画協会を発足する。1917年、帝室技芸員、1919年、帝国美術院会員に任ぜられる。
 国学、漢学、仏教、詩文を学び、博学多識であり、稀覯書の収集も行う。絵は、独学で南画、明清画、大和絵、写生を学んだ。風景、花鳥、人物など2万点以上を描く。書画叢談と称し、晩年に傑作を残す。代表作「不尽山全頂図)」「旧蝦夷風俗図)」など。
 墓は是住院(西京区)にある。
◆文化財 「本金箔極彩色衝立」。
◆墓 富岡鉄斎の墓がある。本堂前に生前に立てた「瘞筆塚(えいひつづか) 」がある。「瘞」とは、「うずめる」の意味がある。隋の僧・智永(ちえい、6世紀後半)は多くの千字文を書いた。ちびた筆を土に瘞め「退筆塚」を立てた。筆塚の始まりになる。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『昭和京都名所図会 6 洛南』、ウェブサイト「コトバンク」


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