上人町・木食応其の草庵跡 (京都市東山区)
Shonin-cho
上人町 上人町
50音索引  Home 50音索引  Home

上人町




稲荷大明神、市姫大明神
 五条大橋の東詰南側付近に、上人町(しょうにんちょう)がある。
 かつて付近に、安土・桃山時代-江戸時代の僧・木食応其(もくじき おうご)の草庵があり、地名の由来になったという。ただ、確証はないともいう。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1586年、豊臣秀吉の命により、木食応其は方広寺造営に協力した。この頃、応其は付近に草庵を結んだという。(『坊目誌』)。ただ、判然としないともいう。
 江戸時代、1653年、上人町について記されている。(『京雀』)
 1665年、上人町について記されている。(『新改洛陽並洛外之図』)
 1762年、「上人町」の町名が記されている。(『京町鑑』)
◆木食応其 安土・桃山時代の真言宗の僧・木食応其(もくじき おうご、1536-1608)。木喰応其、興山上人。近江国の生まれ。近江・佐々木氏、大和・越智氏に仕えた武士だった。1573年/1572年、戦国乱世を嫌悪し高野山で出家、客僧になる。宝性院の政遍より受戒、誓願寺の勧進聖によるともいう。十穀を絶つ木食行を行う。小野・広沢の2法流を受けた。仁和寺で阿闍梨位を受ける。1585年、豊臣秀吉の根来寺攻めで応其は和議に臨む。高野山焼き打ちを阻止し、復興を援助させる。1586年、秀吉の命により、応其は方広寺造営に協力した。1587年、秀吉の九州遠征で、応其は島津氏との和睦交渉に尽力する。高野山内に興山寺と秀吉の母・大政所の菩提所、剃髪寺(青巌寺)を開基した。1595年、「謀反」したとされる豊臣秀次事件に立会い、青巌寺で切腹させる。1598年、秀吉没後、葬送をつかさどる。方広寺大仏殿で開眼導師として、千人の僧侶とともに善光寺如来の法要を行う。1600年、関ヶ原の戦いで伊勢・安濃津城、近江・大津城開城交渉にあたる。淀殿、秀頼から秀吉の菩提を弔うための大仏造仏を依頼される。1602年、方広寺大仏殿の鋳造中の大仏が炎上した。その責を取り、近江国・飯道寺(はんどうじ)に隠棲する。
 全国を行脚し寺社の勧進に関与し、行基の再来といわれた。豊国社の造営、東寺、嵯峨釈迦堂、平等院の修復、創建などに関わる。連歌を里村紹巴に習い、連歌の式目「無言抄」を著した。高野山の中興として廟所がある。
 五条大橋東詰の上人町(東山区)に草庵があったとされる。跡地は不明。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『京都大事典』『京都の地名検証』


  関連・周辺方広寺      関連・周辺五条大橋 ・六条河原      関連・周辺松原橋     周辺      関連          

五条大橋
平安京オーバレイマップ
map  上人町 〒605-0903 京都市東山区上人町,問屋町通五条下る
50音索引  Home  top 50音索引  Home  top
   © 2006- Kyotofukoh,京都風光