阿弥陀寺 (京都市右京区嵯峨越畑)
Amida-ji Temple
阿弥陀寺 阿弥陀寺 
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 嵯峨越畑(さが こしはた)地区に阿弥陀寺(あみだじ)はある。
 曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、860年、当地の開闢(かいびゃく)のため、愛宕山白雲寺の慶俊と坂上田村麻呂の子孫・田村準玄がこの地を訪れた。後、援助と協力を得た田村麻呂の妻・薩埵御前を村の地主氏神として崇め霊廟を建立した。菩提所を安置し、阿弥陀如来による日夜菩提経を願い阿弥陀寺を唱来したという。(「村由来記」、村瀬芳巳家文書)  
 970年、坂上田村麻呂の子孫・田村準玄がこの地に土着し、開基したともいう。(「寺伝」)
 その後、衰微した。
 江戸時代、1736年、僧・活外が中興し、曹洞宗とした。
◆慶俊 奈良時代の僧・慶俊(けいしゅん/きょうしゅん、?-778?)。慶峻。河内国(大阪府)の生まれ。渡来系氏族葛井(藤井)氏。出家後、大安寺の入唐僧・道慈を師として、三輪、法相、華厳などを学ぶ。華厳講師、731年以降、大安寺の請経牒(しょうきょうちょう、借用申請者)、経典を写経所に貸した人物として慶峻・敬俊とある。751年、東大寺写経所目録は慶俊所持の経典中で借りたいものの名を記した。753年、大安寺仁王会講師18人中に名を連ね、法華寺文書に同寺大鎮として署名した。756年、第45代・聖武天皇の死に際し、学業を称され律師になる。766年、道鏡により排斥された。770年、復任し少僧都になる。聖武天皇の光明皇后)、藤原仲麻呂と親交あり、仲麻呂政権の崩壊で失脚した。その後、律師に返り咲く。延暦年間(782-806)、没したともいう。
 勤操より受けた虚空蔵求聞持法を空海に伝えたという。京都に珍皇寺(愛當寺)を建立したという。笙の制作者としても知られた。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都市の地名』 、ウェブサイト「コトバンク」


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map 阿弥陀寺 〒616-8486 京都市右京区嵯峨越畑南ノ町23   
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