実如上人御廟所・証如上人御廟所 (京都市山科区)
Tomb of Jitsunyo,Tomb of Shonyo
実如上人御廟所・証如上人御廟所 実如上人御廟所・証如上人御廟所 
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実如上人御廟所



実如上人御廟所



実如上人御廟所、「實如上人御墓」と刻まれている。
 本願寺山科別院の墓地内に、実如上人御廟所(じつにょ しょうにん おんびょうしょ)・証如上人御廟所(じょうにょ しょうにん おんびょうしょ)がある。
 本願寺9世・実如、本願寺10世・証如の廟所が隣接してあり、山科本願寺旧跡の一つに数えられる。
◆歴史年表 詳細は不明。
 室町時代、1525年、実如が葬られる。
 1554年、証如が葬られた。
◆実如 室町時代の浄土真宗の僧・実如(じつにょ、1458-1525)。實如。蓮如の第8子(5男)、母は伊勢貞房の娘蓮祐尼。1467年、延暦寺より京都を追われた父・蓮如は、長男・順如の廃嫡、実如への家督継承を受け入れた。1483年、順如の没後、実如は改めて法嗣になる。1489年、父の退隠後、1495年、加賀一向一揆の指導者、管領・細川政元と対立した河合宣久粛清を容認し、9世に就く。1506年、政元の要請を受け畠山義英の討伐に協力した。摂津・河内の門徒は反発し、実如の異母弟で畠山氏の血を引く実賢を石山御坊に擁立し法主交替を求めた。この河内国錯乱を抑える。1507年、政元の養子・澄之が政元を暗殺した永正の錯乱で、山科本願寺を追放され堅田御坊へ逃れた。1509年、山科本願寺に復帰する。北陸門徒に一揆を禁じるなどの3か条の戒めを発布、本願寺の一門一家制も設け、嫡男と次男以下を分け統制をはかる。蓮如の文書80通より5帖一部に編集し「御文」とした。1521年、青蓮院脇門跡に任ぜられる。 
 墓は実如上人御廟所(山科区)にある。
◆証如 室町時代の浄土真宗の僧・証如(しょうにょ、1516-1554)。證如。蓮如の曾孫。父は遍増院円如、母は慶寿院鎮永尼。1525年、父方祖父・本願寺9世・実如の死により、10歳で本願寺第10世になる。実如の弟で証如の母方祖父・蓮淳の後見を受けた。1527年、関白・九条尚経の猶子。1531年、本願寺教団の内部対立、「享禄・天文の乱」を抑えた。1532年、管領・細川晴元の要請により門徒を動員し、三好元長を敗死に追う。晴元は本願寺の実力を怖れ、日蓮宗教団、六角定頼らと本願寺本拠地だった山科本願寺を焼討した。(「天文法華の乱」)。証如は大坂の石山御坊に逃れる。後、晴元の養女・如春尼を長男・顕如の妻に迎え和睦した。1546年、金沢に尾山御坊を築く。1000通あまりの「証如(天文)日記」を記した。長男・11世・顕如が継ぐ。武力主義を明確にした。
 墓は証如上人御廟所(山科区)にある。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『山科の歴史を歩く』 「-山科本願寺と蓮如コース-参加者用資料」、『京都大事典』 『山科事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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実如上人御廟所

証如上人御廟所

証如上人御廟所

証如上人御廟所、「證如上人御墓」と刻まれている。

証如上人御廟所
map 実如上人御廟所・証如上人御廟所 〒607-8142 京都市山科区東野中井ノ上町 
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