蓮如上人銅像跡 (京都市山科区)
ruins of the Bronze statue of Rennyo Shonin
蓮如上人銅像跡  蓮如上人銅像跡 
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蓮如上人銅像跡


石の台座部分



碑文


「顧問 高村光雲、原型 黒岩淡哉、鋳造 伊藤乙丸」と刻まれている。



石碑、碑文板も残されていない。



庭園跡の石橋



【参照】蓮如上人銅像、地域の方提供



【参照】蓮如上人銅像
 山科区西野の住宅街の一角に、「蓮如上人銅像跡(れんにょしょうにん-どうぞう あと)」がある。
 かつてこの地には、蓮如の巨大な立像が立てられていた。いまは一帯に台座、石碑跡、庭跡だけが残る。 
◆歴史年表 近代、1934年、9月、蓮如上人銅像は立てられた。
 1944年、太平洋戦争中に「戦時金属供出」により立像、碑文が撤去され、台座だけが残された。
◆蓮如  室町時代中期の浄土真宗の僧・蓮如(れんにょ、1415-1499)。幼名は布袋(丸)、幸亭、法名は兼寿(けんじゅ)、号は信証院、諡号は慧灯(えとう)大師。京都東山大谷の生まれ。第7世・存如(ぞんにょ)の長男、母は祖母(父とも)の侍女という。1420年、6歳の時、母が本願寺を去る。生国の備後鞆ノ浦/豊後望都に帰ったという。継母・如円の下で育つ。青蓮院尊応に学ぶ。1431年、17歳で青蓮院で得度し、中納言・広橋兼郷の猶子になる。比叡山、興福寺大乗院前門跡・経覚に学ぶ。1442年、如了尼と結婚する。1447年、関東に下り、親鸞の遺跡を巡拝した。1449年、父と北陸関東・東北布教に出る。1457年、父の死により本願寺第8世宗主になる。1465年、比叡山衆徒により大谷の御影堂は破却された。近江に逃れる。(寛正の法難)。1468年、延暦寺は堅田を攻撃する。(堅田大責)。1468年/1469年、大津近松に移り、祖像を遷した。1469年、東国に修行に行く。1471年、越前・吉崎に襲撃を避けて道場、吉崎御坊を開く。1473年、『正信偈(しょうしんげ)・和讃』を開版した。1474年、文明の加賀一向一揆が起こり、宗徒暴発を諫めた。1475年、一向一揆に敗走し、河内出口に向かう。1478年、山科に移る。1483年、山科本願寺を建立し、本願寺を再興し布教を続けた。1488年、長亨の加賀一揆が起こる。1489年、退隠し、5男・実如(じつにょ)に本願寺住持職を譲り、山科本願寺南殿に隠居した。1496年、摂津大坂石山に坊舎石山別院(石山本願寺、大坂御坊)を建て妻子と隠棲した。1499年、山科本願寺に戻り亡くなる。85歳。
 浄土真宗中興の祖。蓮如は1461年以後、現世利益ではなく、救われて仏になること、師による恩ではなく教説による仏恩を説き、布教に平易な教示の文章『御文(おふみ、東本願寺)/御文章(ごぶんしょう、西本願寺)』を用いた。「南無阿弥陀仏」などと書かれた掛け軸の「御名号(おみょうごう)」、門徒の組織である講、親鸞の教えの木版印刷などを通じた布教により教団の急拡大を行った。近代、1882年に慧燈大師と勅諡された。
 墓は山科本願寺寺内町跡(山科区)にある。
◆黒岩淡哉
 近現代の彫刻家・黒岩淡哉(くろいわ-たんさい、1872-1963)。高木倉吉。後に黒岩家に養子として入る。二松学舎卒業後、1889年、東京美術学校入学、彫刻(木彫)を学ぶ。1894年、卒業。1898年、東京美術学校の彫刻科助手兼教務掛に就く。1900年、パリ万博に「子守」を出品し金牌受賞。1914年、東京美術学校より大阪府立職工学校に出向した。1930年、勲六等瑞宝章受賞。1931年、同校を退職した。1936年、大阪・守口市に移る。
 作品に、「普賢菩薩像」(1930年、四天王寺)、「楠木正行像」(1937年、飯盛山)、「芭蕉像」(1957年)、「高野山普賢院)、「菅原道真像」(1958年、福岡・水田天満宮)などがある。91歳。
◆蓮如上人銅像 近代、1934年9月、青銅製の蓮如上人銅像は立てられた。行脚姿の姿の蓮如立像だった。
 東西の御坊融和の象徴として立てられたものという。場所は、東御坊(東本願寺山科別院)、西御坊(西本願寺山科別院)、蓮如上人廟所の3点のほぼ中間点になる。
 建立者は、江戸時代の由比正雪の子孫・卯三郎という。彫刻家・黒岩淡哉の作、仏師・彫刻家・高村光雲(1852-1934)が顧問になった。1944年、太平洋戦争中に、「金属供出」により石垣の台座を残して撤去された。立像は、台座部分も含めて高さ10mだったという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 碑文、「山科本願寺と蓮如コース参加者用資料」 、ウェブサイト「コトバンク」


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map 蓮如上人銅像跡 〒607-8344 京都市山科区西野大手先町  
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