阿弥陀寺跡(六ノ保社跡) (京都市上京区)
ruins of Amida-ji Temple
阿弥陀寺跡(六ノ保社跡) 阿弥陀寺跡(六ノ保社跡)
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「元阿弥陀寺跡 慈雲尊者 遷化之霊地」の石標
 華開院(けかいいん)の辻向いにある京和幼稚園の入口に、「元阿弥陀寺跡 慈雲尊者 遷化之霊地」の石標が立つ。 
 阿弥陀寺(あみだじ)とは、北野社の供御所七保の一つだった。神仏習合であり、「六ノ保社(六之保社)」ともいわれた。
◆歴史年表 平安時代、903年、太宰府に左遷された菅原道真が亡くなる。その後、道真に同行し、後に帰京した人々が道真を祀る「七保」という7つの御供所(北野御供所)を置く。一ノ保社(安楽寺)、二ノ保社、三ノ保社(長宝寺)、四ノ保社(新長谷寺)、五ノ保社(満願寺)、六ノ保社(阿弥陀寺)、七ノ保社があり、右京一条から三条界隈に設けられた。
 江戸時代、1743年、阿弥陀寺(六ノ保社)は真言宗に売却されたという。「殊尊院」と改称した。(『坊目誌』)
 1791年、浄土宗の僧・慈雲が入寺する。
 1805年、慈雲がこの地で亡くなったという。
 近代、1882年/1883年、神仏分離令後(1868)の廃仏毀釈により廃寺になったという。(『坊目誌』)
 1922年、現在の石標が立てられた。
◆慈雲尊者 江戸時代中期-後期の真言宗の僧・慈雲尊者(じうん-そんじゃ、1718-1804/1805)。幼名は満次郎、飲光(おんこう)、号は百不知童子(ひゃくふちどうじ)など。大坂に生れた。父・上月(森川)安範(かみつき-やすのり)の七男。母は桑原氏。13歳で忍綱(にんごう)に就き出家得度した。18歳で京都・伊藤東涯に儒学、24歳で信州・大梅禅師(だいまい-ぜんじ)に禅を学ぶ。1744年、摂津高井田・長栄寺で正法律(しょうぼうりつ、真言律宗)を興した。41歳で生駒山中に「双竜庵」を結び、10年かけて『梵学津梁(しんりょう)』1000巻を完成した。1791年、京都・阿弥陀寺に入り、十善戒(じゅうぜんかい)を説く。1798年、河内の高貴寺に戒壇を築き正法律一派の本山とした。晩年、雲伝(うんでん)神道 (葛城神道)を唱えた。正法律の開祖。「日本の小釈迦」と称された。著『方服図儀』など。
 阿弥陀寺(上京区)で亡くなる。87歳。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都歴史案内』、『京都市の地名』 、ウェブサイト「コトバンク」  


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map 阿弥陀寺跡(六ノ保社跡) 〒602-8366 京都市上京区行衛町(ゆくえちょう)439-2,下立売通御前西入ル
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