|
|
明光寺 (京都市北区) Myoko-ji Temple |
|
明光寺 | 明光寺 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 禁裏御用水遺構 |
鞍馬口通に南面して明光寺(みょうこう-じ)がある。 浄土真宗本願寺派、本尊は阿弥陀如来。 ◆歴史年表 安土・桃山時代、1576年、了善が当初は堀ノ内に創建した。堀内道場と呼ばれた。 1592年、柳原に移り、柳原道場と改める。 安土・桃山時代-江戸時代、慶長年間(1596-1615)、現在地に移る。現在の寺号の明光寺と改める。 ◆了善 安土・桃山時代の浄土真宗の僧・了善(?-?)。詳細不明。男性。井口五郎俊政。近江国小谷城主・浅井長政(1545-1573)の従弟。1576年堀ノ内に堀内道場を創建、明光寺の前身となる。 ◆禁裏御用水 現代、2010年、明光寺境内にある庫裏修復に際して、本堂との間に南北方向の「禁裏御用水(御所用水)」の遺構があることが発見された。 禁裏御用水は、江戸時代に鴨川より水が引かれ、京都御所(上京区)へ導かれていた。近代まで多目的用水として利用された。1912年に琵琶湖疏水による「御所水道」が完成し、御用水は役割を終える。 寺には、境内をかつて御用水が流れていたという伝承があり、水路跡らしき石も残されていた。御用水跡は境内の南東、相国寺境内(上京区)にも残されている。さらにその延長線上に京都御所が位置しており、これらは、ほぼ南東方向の直線上にある。 現在、禁裏御用水の一部が復元されている。大部分の水路跡には砂利を敷き入れている。両側の石組の一部も見ることができる。幅1m、深さ90cm。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都大事典』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
|