大雄院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Daio-in Temple
大雄院  大雄院
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庫裏


シャクナゲ





 妙心寺境内の南東に、境外塔頭・大雄院(だいおういん)がある。 
 臨済宗妙心寺派。水庵派。本尊は釈迦牟尼。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1603年、石河光忠(いしこ みつただ)は、父・光元、祖父・光重以来の香華所(こうげしょ)として創建した。開祖は慧南玄譲(えなん げんじょう)による。蘭叔玄秀(らんしゅく げんしゅう)が勧請開祖になる。以後、石河家の菩提塔頭(香華所、位牌所)になった。創建時には伏見城の石河屋敷の建物を移築した。
 江戸時代、1670年、堂宇を新造する。
 1726年、1727年とも、光忠の百年の遠諱(おんき)に伴い、現在の方丈(客殿)、書院が再建された。
 現代、2003年、客殿、書院、庫裡、表門が、京都府指定文化財に指定された。
◆慧南玄譲 安土・桃山時代の僧・慧南玄譲(けいなん げんじょう、生没年不詳)。詳細不明。水庵宗掬(すいあん そうきく)(美濃鏡島城主・石河家)の法孫。
◆蘭叔玄秀 安土・桃山時代の僧・蘭叔玄秀(らんしゅく げんしゅう、?ー1576?)。詳細不明。慧南玄譲(けいなん げんじょう)の法祖。石河光忠の叔父。妙心寺53世、美濃鍋島・乙津寺住持、妙心寺・大雄院の勧請開祖。「酒茶論」「蘭叔録」を著す。
◆石河光忠 安土・桃山時代-江戸時代の武将・石河光忠(いしこ みつただ、1594-1628)。大雄院殿。豊臣家臣、播磨国竜野城主・石河光元の子。母は正法寺・志水宗清の娘・お亀の方(後の徳川家康側室)。1608年、徳川家康に召し出され、1610年、美濃国と摂津国に所領を得る。家康の命により、1612年、尾張藩主の異父弟・徳川義直に付属し、名古屋城代になる。1614-1645年、大坂の陣で義直に従い出陣した。
◆石河光元 安土・桃山時代の武将・石河光元(いしこ みつもと、?-1601)。石河光重の子。子に光忠。豊臣秀吉に仕え、1577年、播磨・竜野城主。1600年、関ヶ原の戦いで当初は石田方に付き、途中で徳川方に属した。戦後、領地を失うが、藤堂高虎のとりなしにより助命され、家門も残す。
◆柴田是真 江戸時代-近代の漆工家・画家・柴田是真(しばた ぜしん、1807-1891)。令哉(れいさい)。江戸生まれ。商人・柴田市五郎の子。1817年、11歳で初代・古満寛哉(こま かんさい)に蒔絵を学ぶ。1822年、鈴木南嶺に四条派の絵を学ぶ。1827年、浮世絵師・歌川国芳が弟子になる。1830年、京都四条派・岡本豊彦の弟子になる。香川景樹に歌学、国学、頼山陽に漢字を学ぶ。1831年頃、江戸に帰る。1841年、東北各地を巡る。蒔絵や漆絵で、青海波塗を復活し、新技法も創始した。1873年、ウィーン万国博覧会で進歩賞牌を受賞。1890年、帝室技芸員。浅草の称福寺に葬られた。
 下絵から蒔絵までの全工程を手がけ、是真の超絶技巧の漆工、漆絵、絵画は欧米人に好まれた。評判になった王子稲荷神社奉納の額面著色「鬼女(茨木)図」がある。
◆石河正久 近現代の臨済宗の僧・石河正久(いしこ しょうきゅう、1937-)。東京生まれ。京都工芸繊維大学、同大学院(蚕糸生産学・家蚕生理、遺伝学)修了。妙心寺派専門道場の岐阜・瑞龍寺専門道場で修行、臨済宗妙心寺派妙心寺塔頭・大雄院住職。
 蚕繭紙(さんけんし)研究で知られ、九州大学農学博士号取得した。蚕繭紙研究所所長。
◆建築 安土・桃山時代、1603年の創建時に、伏見城の石河屋敷の建物を移築した。江戸時代、1670年、堂宇を新造する。
 「方丈(客殿)」は、江戸時代、1726年(1727年とも)に光忠の百年の遠諱に再建された。
 「書院」も、1726年(1727年とも)に、前身建物の材料を用いて再建された。
 「庫裏」は、江戸時代末に改造されている。
 2003年、客殿、書院、庫裡、表門が、京都府指定・登録文化財に指定されている。
 「土蔵」は、置屋根造になる。
 「東司(とうす)」は、御手洗であり、江戸時代、1726年に建てられた。
◆障壁画 方丈(客殿)に障壁画72面がある。江戸時代、1832年頃、柴田是真(しばた ぜしん、1807-1891)筆による。「雅松図」「四季花卉図」「唐人物図」「山水図」「群猿図」などが描かれている。雅松図の間の西側壁右下部に「令哉(れいさい)」の落款がある。
◆庭園 客殿南に枯山水式庭園がある。スギゴケ、スナゴケの苔地に、刈込、松、蓮華寺型燈籠など3基が立つ。東に池泉鑑賞式庭園もある。
◆文化財 「石河光元像」には、安土・桃山時代、1601年、南化玄興(なんか げんこう、1538-1604)の賛がある。
 室町時代作という「十一面観音図」。
 「蚕繭紙(さんけんし)」に描かれた書画130点ほどがある。妙心寺派30代管長・松山寛恵、素描友禅作家・村田竹仙など高僧、文人の作品が残されている。蚕繭紙とは、蚕が自ら紡いだ「平面繭」をいう。100%絹紙であり、これに書画をしたためている。前住職・石河正久は、30余年間にわたり研究した。落花生形の繭を作る蚕の交配を重ねた。石河蚕と名付けて平面状に糸を吐かせた。


*非公開
*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 当院案内書、『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『第51回非公開文化財特別公開ガイドブック』


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