玉龍院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Gyokuryu-in Temple
玉龍院 玉龍院 
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 妙心寺境内に塔頭・玉龍院(玉竜院、ぎょくりゅう-いん)がある。
 臨済宗妙心寺派。 
◆歴史年表 安土・桃山時代、1598年、檀越の大名・生駒一正は、大川紹潙(たいせん-しょうい)を開祖として創建した。以後、生駒家の菩提塔頭になる。
 江戸時代、寛永年間(1624-1643)/1603年、大名・生駒高俊により廟堂が建立された。
 近代、1868年以降、廃仏毀釈の影響を受ける。
 1877年、客殿(本堂)は、建仁寺開山堂の客殿として移された。
◆大川 紹偽 安土・桃山時代の僧・大川 紹潙(たいせん-しょうい/だいせん-じょうい、?-?)。詳細不明。男性。1588年、生駒親正が讃岐宇多津に創建した海蔵寺(高松・法泉寺)開山になる。1598年、生駒一正が建立した玉龍院の開山になった。 
◆生駒 一正 室町時代後期-江戸時代前期の武将・大名・生駒 一正(いこま-かずまさ、1555-1610)。男性。父・生駒親正の長男。織田信長に仕え、1577年、紀伊雑賀攻めなどで活躍した。1582年、信長没後、羽柴秀吉に仕える。戦功により、1591年、従五位下讃岐守を叙される。文禄・慶長の役(1592-1598)では、蔚山城の戦いなどで活躍した。1600年、関ヶ原の戦いで会津出兵に参加、東軍に与し武功を挙げた。1601年、家督を継ぐ。1608年、妻子を江戸屋敷に居住させ、忠義を徳川秀忠より賞された。56歳。
 生まれながらに言語障害があり、信仰心篤く、大川紹潙(たいせん-しょうい)に帰依した。墓は法泉寺(高松)、妙心寺・玉龍院(右京区)にある。法名は「玉龍院殿前讃州大守四品安岫崇泰大禅定門」。
◆生駒 親正 室町時代後期-安土・桃山時代の武将・大名・生駒 親正(いこま-ちかまさ、1526?-1603)。男性。美濃国(岐阜県)の生まれ。父・生駒親重、長男に一正。1566年、織田信長の美濃攻め以後従う。1570年、この頃、木下藤吉郎(豊臣秀吉)の隊に属した。石山本願寺(大坂本願寺)攻め、1575年、長篠の戦い、1577年、紀伊国雑賀攻めなどに参加した。1582年、信長の死後、秀吉家臣になり、山崎の戦い、1583年、賤ヶ岳の戦いに従う。1584年、秀吉より2000石を与えられる。1585年、従五位下・雅楽頭に叙され加増される。1587年、播州赤穂、讃岐国に移された。秀吉により中老職に任じられた。1590年、小田原征伐に加わる。1592年、文禄の役などに参じた。近江国高島、播磨国赤穂の所領を得て、1595年、讃岐国を与えられた。預かっていた討死した讃岐前国主・十河存保の嫡男・千松丸を毒殺したという。氏復活に繋がる周辺を弾圧した。1600年、徳川家康の会津・上杉景勝討伐で、親正ら三中老は家康に中止を諫言し、自らは加わらず、子・一正らを従軍させた。関ヶ原の戦いで、一正は東軍に与し、親正は西軍に付き丹後国田辺城攻めに家臣を派遣した。戦後、剃髪し、高野山に入る。山城国槙尾に一時隠退した。家康のお咎めはなく、一正の戦功により所領も一正に安堵・加増された。高松城で亡くなる。78歳。
 墓は法泉寺(高松)、妙心寺・玉龍院(右京区)にある。
◆生駒 正俊 安土・桃山時代-江戸時代前期の武将・大名・生駒 正俊(いこま-まさとし、1586-1621)。男性。父・高松藩2代藩主・生駒一正の長男。妻は藤堂高虎の娘。1592年より、豊臣秀吉に従う。1600年、関ヶ原の戦いで祖父・親正とともに西軍につく。東軍に与した父の功により赦された。1610年、讃岐国を継ぐ。父没後、家督を相続する。1614年、大坂冬の陣に加わる。36歳。
 高松藩3代藩主。
 墓は法泉寺(高松)、妙心寺・玉龍院(右京区)にある。法名は「法泉院殿機外崇先居士」。
◆生駒 高俊 江戸時代前期の武将・大名・生駒 高俊(いこま-たかとし、1611-1659)。男性。父・高松藩3代藩主・生駒正俊の長男。1621年、父没後、家督を相続し、高松藩主生駒家3代になる。外祖父・藤堂高虎の後見を受ける。1626年、従四位下壱岐守に叙任された。家臣団の間で内紛の「生駒騒動」が起こる。1640年、幕府は藩主・高俊の領地を没収し、出羽国由利郡に流罪になる。49歳。
 高松藩第4代藩主、出羽矢島藩初代藩主。
◆塑像 霊屋(おたまや)に、右から生駒親正・一正・正俊の塑像(坐像)が祀られている。
◆建築 ◈「廟堂」は、江戸時代前期、寛永年間(1624-1643)/1603年に生駒高俊により建立された。左甚五郎(1594-1651)作といわれる蟇股がある。
 ◈玉龍院の「客殿(本堂)」は、近代、1877年に建仁寺開山堂の客殿として移されている。
 ◈「霊屋」は、生駒高俊により建立された。
◆文化財 室町時代の土蔵筆「釈迦正覚図」(重美)がある。
◆墓 墓所に、生駒親正・一正・正俊の3代、宝篋印塔3基を中心にして、一族の墓塔、家臣の墓が立つ。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料  『妙心寺』、『妙心寺 六百五十年の歩み』 、『京都戦国武将の寺をゆく』、ウェブサイト「コトバンク」


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玉龍院 〒602-8418  京都市右京区花園大藪町18 
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