光国院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Kokoku-in Temple
光国院  光国院
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 妙心寺境内北に塔頭・光国院(こうこくいん)がある。
 臨済宗妙心寺派。 
◆歴史年表 江戸時代、1620年、加納城主・松平忠隆が、父・忠政の菩提を弔うために、名古屋・総見寺の梁南禅棟(りょうなん ぜんとう)に請じて創建した。当初は現在地の南、慧照院(えしょういん)の北、もとの麟祥院(りんしょういん)の西に位置し、勅使の休憩所として使われていた。
 近代、1878年、実相院を併合する。行者堂(法金剛院村、本尊・行者菩薩)が境内に移築される。
 明治期(1868-1912)末、現在地(盛徳院の旧跡)に移築された。
◆梁南禅棟 安土・桃山時代-江戸時代の僧・梁南禅棟(りょうなん ぜんとう、?-1625)。龍泉派柏庭下。大須・總見寺2世、1620年、妙心寺・光国院開山。1628年、亀姫菩提寺の妙心寺・盛徳院の開山。
◆松平忠隆 江戸時代の大名・松平忠隆(おくだいら ただたか、1608-1632)。奥平忠隆。美濃加納藩2代藩主・奥平忠政の長男。母は里見義頼の娘。正室は酒井家次の娘。1614年、父の死去により14歳で第3代藩主を継ぐ。祖父・奥平信昌に政務代行を託した。1615年、祖父没後、祖母・亀姫(徳川家康長女)の補佐を受けた。25歳の若さで死去。法号は「大林宗功実相院」。
◆松平忠明 安土桃山時代-江戸時代初期の武将、大名・松平忠明(まつだいら ただあきら、1583-1644)。徳川氏の重臣・奥平信昌の4男、母は徳川家康の娘・亀姫(盛徳院)。1588年、家康の養子になり、松平姓を許された。1592年、兄死後、家督を継ぎ、上野長根に所領を得る。1600年、関ヶ原の戦いで父と共に徳川方として参戦、1602年、三河作手藩主。1610年、伊勢亀山藩に移封。1614年、大坂冬の陣で、河内口方面の大将となる。休戦協定後、家康の命で大坂城外堀・内堀の埋め立て奉行。1615年、大坂夏の陣の功により摂津大坂藩藩主。1619年、大和郡山藩へ加増移封。1632年、家光の後見人(大政参与)の一人に任じられる。1639年、播磨姫路藩に加増移封、江戸幕府の宿老。多くの都市計画を手掛け、京都では伏見町人の大坂移住、堀川開削などを行う。『当代記』を著した。
◆亀姫 安土・桃山時代-江戸時代前期の亀姫(かめひめ、1560-1625)。駿河・徳川家康の長女に生まれた。三河の新城城主・奥平信昌の妻。信昌の国替えにより美濃加納に移り、加納御前、加納の方と呼ばれた。 1622年、宇都宮城主・本多正純が出羽山形の最上氏の処分に際して咎をうけ、城を没収された宇都宮騒動に関わり、弟の2代将軍・徳川秀忠に働き老中・本多正純を解職させた。夫子らの相次ぐ逝去により剃髪し、盛徳院と号した。妙心寺・大法院には、亀姫の「盛徳院殿像」を安置している。大法院本堂に位牌が祀られている。
◆松平忠政
 江戸時代の武将・大名・松平忠政(まつだいら ただまさ、1580-1614)。奥平忠政。三河の人。加納藩初代藩主・奥平信昌の三男。母は徳川家康の長女・亀姫。上野吉井藩第2代藩主。1597年、菅沼定利の養子、定利没後、養子縁組を解消される。1602年、父の隠居により、跡を継ぎ美濃加納2代藩主になる。実際には父が実権を握る。法号は「雄山宝永光国院」。享年35。
◆通翁鏡円 鎌倉時代の臨済宗の僧・通翁鏡円(つうおう きょうえん、1258-1325)。浄光、普照大光国師。下野・雲巌寺の高峰顕日、筑前・崇福寺の南浦紹明に師事。万寿寺、南禅寺の住持。第96代・後醍醐天皇による天台・真言両宗との正中宗論に勝つ。
◆松岡恕庵 江戸時代中期の本草家・松岡恕庵(まつおか じょあん、1668-1746)。京都の生まれ。山崎闇斎、伊藤仁斎に儒学、稲生若水に本草学を学ぶ。1721年、江戸で幕府の薬品鑑定を行う。著「用薬須知」など。墓は妙心寺・実相院より、1921年、光国院に移された。
◆成徳院 塔頭・盛徳院は、現在の光国院の地にあった。盛徳院とは徳川家康長女・亀姫(1560-1625)の法名であり、その菩提寺になる。1628年、子の松平忠明が光国院の梁南禅棟を請じて創建した。かつて特芳派(霊雲派)ともいう。盛徳院は1878年、松林院を併合している。その後、廃寺になる。盛徳院には亀姫画像を安置していたという。
◆実相院 江戸時代、1634年、また寛永期(1624-1644)に松平忠明は、甥で早世した忠隆の菩提ために実相院を創建した。現在の退蔵院の西に隣接しており、開祖に繁室を請じた。1878年、光国院に併合された。
◆大光院 大光院は、かつて正眼庵と称し、開基は鎌倉時代の通翁鏡円(1258-1325)による。安土・桃山時代、1599年、岡山藩家老・日置忠俊(1572-1641)は伝外和尚を請じて再興し、大光院と改めた。江戸時代、1878年、南涌院を合併する。その後、廃寺になる。
◆建築 現在の堂宇は、大光院の庫裡を修復したものという。
◆墓 江戸時代の本草家・松岡恕庵の墓がある。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『増補版 京都の医史跡探訪』


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