伊多太神社旧跡 (京都市左京区)
Itata-jinja Shrine
伊多太神社旧跡 伊多太神社旧跡 
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 上高野の高台の林の中に、小さな鳥居と「延喜式内社 伊多太大社(いたた/いただ たいしゃ)旧跡」の石標が立てられている。 
 この地は、現在、崇道神社(左京区上高野西明寺山町)境内に祀られている伊多太神社の旧社地になる。また、三宅八幡宮(左京区上高野三宅町)の社地だった。当社は、一帯の地主神社であり周辺で最古の社といわれている。一帯は「伊多太の森」と呼ばれていた。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「愛宕郡 二十一座 大八座 小十三座」の「伊多太神社」に比定されている。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、927年、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』)中の「伊多太神社」に比定されている。愛宕郡中で有数の大社とされた。地主神であり、農耕守護農耕守護神として祀られたともいう。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失、以後衰退する。
 近代、1883年、再興された。
 1908年、伊多太大社の地は三宅八幡宮の社地だった。伊多太大社が崇道神社(左京区上高野西明寺山町)に合祀される。三宅八幡宮は現在地(左京区上高野三宅町)に遷る。
◆伊多太 高野の地はかつて、山城国愛宕郡十二郷の一つ、出雲郷だったという。出雲族は山陰より丹波を経てこの地にも移住したともいう。このため、伊多太大社が合祀された近くの崇道神社の神事も、古来より出雲系神社の様式で行われてきたという。
 伊多太神社とは、出雲地方を中心とし、畿内、東国などに点在する式内社になる。「伊多太」は「伊達」「伊太氏」「躬楯」などとも記され出雲系農耕神だったと考えられている。
 「伊多太(いたた/いただ/いたて)」の語源は、「ゆだて(湯立て)/ゆだち」にあるともいう。湯立て神事とは禊の儀式になる。神前の大釜に湯を沸かし、巫女、神官らがこの熱湯に笹の葉をひたし、自らの体や参詣人に振り掛ける。かつて巫女は、宮中にも奉仕していたという。
 また、かつて社前には池ノ内、市川、大湯手、等良田などの地名があったという。(「崇道神社参拝の栞」)
 「いたて」は、林業神で素戔嗚尊(すさのお)の子、五十猛神(いたける/いそたける)に通じるともいう。出雲系の農耕守護神のほかに、渡来系の鍛冶・銅工・金作などに関わる人々の神、鍛冶部(からかぬち)の神にも通じるともいう。この神はタタラ(踏鞴製鉄)に関係するともいう。当社は近世、学問の神としての信仰も集めた。
 伊多太は後に「いたた(痛)」と転訛し、頭痛などの痛み解消に霊験ある神としても信仰を集めた。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 「崇道神社参拝の栞」『京都・山城寺院神社大事典』『京都市の地名』『京都北山を歩く 1』『昭和京都名所図会 3 洛北』『京都府の歴史散歩 中』、サイト「同志社大学歴史資料館 発掘物4 3回 文献屋の岩倉探索」、サイト「上高野の自然と文化を学ぶ同史会」


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伊多太神社旧跡 〒 京都市左京区上高野大明神町
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