南陽院 〔南禅寺〕 (京都市左京区)
Nanyo-in Temple
南陽院 南陽院 
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 南禅寺境内の南西に塔頭・南陽院(なんよういん)がある。
 臨済宗南禅寺派。 
◆歴史年表 近代、1908年、西賀茂の末寺・正伝寺、塔頭・南陽院の名義を移した。開山は豊田毒湛(とよだ-どくたん)による。
 1909年、山内に建立され、南禅寺の塔頭になる。毒湛禅師の塔所とされた。師に帰依した豪商の施入による。
◆豊田毒湛 江戸時代後期-近代の臨済宗の僧・豊田毒湛(とよだ-どくたん、1840-1917)。名は匝三(そうさん)、別号は高源室。美濃(岐阜県)の生まれ。1847年、美濃の東光寺・晙桑(しゅんそう)の法弟になる。1848年、得度した。1857年、近江・永源寺の海州楚棟に参禅した。のち筑後・梅林寺の羅山元磨の下で得悟した。1862年、東光寺継嗣になる。1872年、美濃・妙心寺派取締になった。1874年、東光寺を譲り、1878年、潭海玄昌(たんかい-げんしょう)の法嗣になる。岐阜・大仙院に住職となる。1881年、京都・円福寺住職、1889年、岐阜・永保寺住職を経て、1896年、南禅寺派管長、南禅寺327世になり、法堂を再建した。1908年、南禅寺・南陽院を開山する。1909年、妙心寺派管長になった。78歳。
◆7代・小川治兵衛  江戸時代後期-近代の造園家・小川治兵衛(おがわ-じへい、1860-1933)。源之助。山城国(京都府)乙訓郡の庄屋・農家に生まれた。父は山本弥兵衛。1877年、岡崎の庭匠・小川家(「植治」「田芝屋」)の養子になる。6代に付く。遠州流を学ぶ。法然院・大定に薫陶を受けた。7代目治兵衛を継ぎ「植治(うえじ)」と称した。天才的と謳われ山県有朋、西園寺公望らの後援を得た。今日の「植治流」造園技術を確立する。
 碧雲荘、無鄰庵、平安神宮神苑、清風荘、円山公園、京都国立博物館庭園、対龍山荘庭園など100あまりの庭園を手掛け、「植治の庭」と呼ばれた。京都御所、修学院離宮、桂離宮などの復元修景にも関わる。73歳。
 墓は佛光寺本廟(東山区)にある。
◆庭園 本堂南庭は、平庭枯山水式になる。小川治平衛の作庭による。
 長方形の庭面は、一面の苔で覆われている。奥に低い生垣があり、その先の多くの樹木、左手、奥の山も借景に取り入れている。庭には右端に2石、左端に1石の臥石のみで構成されている。両石の間合いが図られており、植栽は松、ツツジなどわずかに抑えられている。
 本堂の西に池泉式の庭園がある。


*普段は非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『旧版 古寺巡礼京都 12 南禅寺』『京都の禅寺散歩』『京都秘蔵の庭』 、ウェブサイト「コトバンク」



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南陽院 〒606-8435 京都市左京区南禅寺福地町33  075-771-4528 
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