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来光寺 〔大徳寺〕 (京都市北区) Raiko-ji Temple |
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来光寺 | 来光寺 |
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大徳寺境外西北、今宮神社の参道に東面して塔頭・来光寺(らいこう-じ)がある。 臨済宗大徳寺派。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 安土・桃山時代-江戸時代前期、清巌宗渭(せいがん-そうい、1588-1662)が中興した。現在地の東(紫野門前町)にあり、中興開山になる清巌が退隠し入寺した。 近代、1929年、現在地(今宮神社参道脇西)に移される。 ◆清巌宗渭 安土・桃山時代-江戸時代前期の臨済宗の僧・清巌宗渭(せいがん-そうい、1588-1662)。男性。俗姓は佐々木、号は自笑(子)、孤陋(ころう)(子)、諡号は清浄本然禅師。近江(滋賀県)の生まれ。源氏奥村佐々木一門。大徳寺・玉甫紹琮(ぎょくほ-じょうそう)につき出家した。賢谷宗良(けんこく-そうりょう)の法を嗣ぐ。1625年、大徳寺170世、高桐院3世になる。1649年、江戸品川・東海寺の住持になる。東海寺塔頭・清光院を創建した。堺・南宗寺、その塔頭・徳泉庵、臨江庵など各所に諸寺・庵を開く。京都・禅華庵を開創する。上賀茂・慈眼庵などを中興した。著『清巌禅師十八ケ条(茶事の心得)』、『茶事十六ヶ条』。74歳。 書画、茶道に通じた。千宗旦参禅の師で「今日庵」を命名した。諡号は1661年、「清浄本然禅師」。法嗣に天倫宗忽(てんりん-そうこつ)がいる。 ◆茶室 茶室「南山席(なんざん-せき)」は四畳半。大徳寺488世・全堤要宗の命名による。 前庭の蹲踞前にマリア燈籠が据えてある。 *非公開 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『別冊愛蔵版 淡交 大徳寺と茶道 その歴史と大徳寺僧の書』、『紫野大徳寺の歴史と文化』、『京都・紫野大徳寺僧の略歴』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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