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養徳院 〔大徳寺〕 (京都市北区) Yotoku-in Temple |
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養徳院 | 養徳院 |
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大徳寺の境内南東に塔頭・養徳院(ようとく-いん)がある。境内は700坪(2314㎡)を有している。足利将軍家の菩提所だった。住持は南派、北派が交代で護持した。 臨済宗大徳寺派。 ◆歴史年表 室町時代、応永年間(1394-1427)、武将・足利満詮(あしかが -みつあきら)は、亡き夫人・善室(妙雲院善室慶)の菩提を弔うために、妙雲院(妙雲尼院)を創建した。当初は東山祇園付近にあった。尼寺とし、満詮の娘・竺英聖瑞(じくえい-しょうずい)を初代とする。当院の前身になる。 1418年、満詮が亡くなり、その法号「養徳院贈左府」により養徳院と院号を改める。 1464年、竺英は、師・春浦宗煕(しゅんぽ-そうき)に院を寄進し、春浦が請われ住持になる。 明応年間(1492-1501)/1492年/1507年、大徳寺山内の現在地、徳禅寺南に移転した。春浦が法嗣の実伝宗真(じつでん-そうしん)に付して開祖にしたともいう。(「大徳寺並塔頭明細牒」) ◆足利 満詮 南北朝時代-室町時代前期の武将・足利 満詮(あしかが-みつあきら、1364-1418)。男性。父・室町幕府2代将軍・足利義詮、母・紀良子の4男。義満の同母弟。室に藤原誠子。左馬頭、左馬頭如元、左兵衛督を経て、1402年、従三位参議、1403年、従二位権大納言。その5日後に、義満の手により剃髪出家し、法名を勝山道智(しょうざん-どうち)と称した。1416年、上杉禅秀の乱で、甥の4代将軍・義持に鎌倉公方・足利持氏の救援を進言した。病没し、等持院で毘に付された。贈従一位左大臣、謚号は養徳院贈左府、法名は道智。 55歳。 ◆竺英 聖瑞 室町時代中期の尼僧・竺英 聖瑞(じくえい-しょうずい、 ?-?)。詳細不明。女性。足利満詮の娘。大徳寺40世・春浦宗熙(しゅんぽ-そうき)に帰依した。妙雲院(養徳院)の初代、1464年、師・春浦に院を寄進する。通玄寺尼長老、曇華院の住持。 ◆春浦 宗煕 室町時代前期-後期の臨済宗の僧・春浦 宗煕(しゅんぽ-そうき、1409/1416-1496)。男性。俗姓は赤松、別号に巣庵、諡号は正続大宗禅師。播磨(兵庫県)の生まれ。6歳で建仁寺・乾心和尚に師事、18歳の時に出家、得度した。蔵主になる。大徳寺に移り、養叟宗頤(ようそう-そうい)の法を嗣ぐ。東山・大蔭庵、大徳寺・大用庵に住した。1461年、大徳寺40世。1462年、大蔭庵、1464年、大徳寺・養徳院の住持。応仁・文明の乱(1467-1477)を避け摂津・城福寺、堺・陽春庵に移る。1473年、大徳寺再住、伽藍修復し復興を行う。1481年、伏見・清泉寺の開祖。1492年、大徳寺に松源院を開く。諡号は1490年、「正続大宗(しょうぞくだいしゅう)禅師」。著『春浦和尚金口説』。81/88歳。松源院に塔された。 ◆実伝 宗真 室町時代中期-後期の臨済宗の僧・実伝 宗真(じつでん-そうしん、1434-1507)。男性。俗姓は林、諡号は仏宗大弘禅師。美濃の生まれともいう。幼少で両親を亡くし、美濃・大円寺に入る。14歳で京都に上がる。建仁寺・天潤庵の晋挙才禅師に師事、蔵主になる、29歳で祇園の大蔭庵・春浦宗煕に参じ、その法嗣。1466年、大徳寺56世。1497年、諡号は仏宗大弘禅師。法嗣に東渓宗牧、古嶽宗亘。著『実伝和尚語録』。遺命により伏見・清泉寺を塔所とした。74歳。 ◆建築 現在の客殿は、江戸時代前期、1656年の棟札が残る。旧客殿の改築年とみられ、それ以前の築造ともいう。 ◆茶室 客殿北に茶室「閑事席(かんじ-せき)」がある。 ◆庭園 禅寺の大徳寺には珍しく池泉式庭園がある。杜若が知られている。 ◆文化財 ◈寿像とみられる「足利満詮像」1幅(重文)は、室町時代作、足利義持の賛がある。 ◈「勝山道智像」。 ◈室町時代の伝・曽我蛇足(?-1483)筆、紙本淡彩「中達磨魔左右臨済徳山像」3幅(重文)がある。達磨の左右に唐僧・臨済義玄(?-867)、唐僧・徳山宣鑑(780-865)を描く。 ◈現代の伝統工芸作家・12代藤林徳扇(ふじばやし-とくせん、1920-)、長男・宏茂、次男・徳也は、2011年に、開祖の須弥檀襖絵「瑞兆(ずいちょう)の図」8面を完成させた。須弥檀には実伝宗真像が安置されている。黎明色に鳳凰、桜、秋草などが描かれている。和紙に水彩絵具を浸透させ、宝石粉を含んだ岩絵具を重ね、金箔を施した。今後、客殿「プラチナの鶴の間」に、鶴の襖絵16面も完成させる予定という。 ◆墓 曇華院宮墓地がある。初代・竺英聖瑞が尼門跡寺院の曇華院住持だったことから、以後の曇華院歴代が養徳院に葬られた。 *非公開 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『別冊愛蔵版 淡交 大徳寺と茶道 その歴史と大徳寺僧の書』、『紫野大徳寺の歴史と文化』、『京都・紫野大徳寺僧の略歴』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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