鞍馬 (京都市左京区)
Kurama
鞍馬 鞍馬 
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鞍馬本町の家並、700mに渡っている。






鞍馬川


街道沿いの石材点にある鞍馬石の作品


「貴船雲珠(うず)」という山桜
 鞍馬(くらま)は、若狭街道と鴨川の源流の一つ鞍馬川に沿い、急峻な鞍馬山(標高570m)の南山麓一帯にある。鞍馬山は、「あらたかなお山」として、古くより篤い信仰を集めてきた。鞍馬は、鞍馬寺の門前町として栄えた。
◆歴史年表 平安時代、弘仁年間(810-814)、鞍馬寺が創建されたという。(「鞍馬蓋寺縁起」)
 平安時代中期、「鞍馬」と記されている。(「後撰和歌集」「枕草子」)
 南北朝時代、1345年、「鞍馬坂商人」とあり、炭薪の率分(関所料)廃止を求めている。(「艮口率分相論下知状」)
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、鞍馬の「七組仲間」が成立する。大惣、名主、宿直、僧達、太夫、大工衆、脇が組織された。惣堂に集い、鞍馬寺、由岐神社の祭礼を奉仕していた。
 江戸時代、1645年、戸数198を数えた。(「鞍馬門前覚書写」)
 1780年、家並が描かれている。(「都名所図会」)
 近代、戸数120を数えた。
◆鞍馬の地名 「鞍馬」の地名由来については諸説ある。山の谷間、崖の間、険峻な山、朝鮮語「コル(谷、渕)」よりの転訛ともいう。
 「闇部(くらぶ)、暗部」が転訛したともいう。谷あいにある鞍馬は日も短い。歌枕にも「くらぶ山」があり、「梅の花にほふ春べはくらふ山やみに越ゆれど著(しる)くぞありける」(『古今和歌集』春上、紀貫之、三九)とある。ただ、「くらぶ(暗部)山」とは鞍馬山に限らず、貴船山、嵯峨野を示すともいう。鞍馬山は「五月闇鞍馬の山のほととぎすおぼつかなしや夜半の一声」(『清正集』、二三)がある。
 鞍馬寺縁起の白馬伝説によると、大友皇子に追われた第40代・天武天皇は、この地で鞍を付けたまま馬を繋いだためともいう。また、堂を建てようとしていた藤原伊勢人に夢告があり、貴船明神が北の深山を勝地(適地)と告げた。愛馬の白馬に鞍を置いて放つと、北山に向かう。その地に堂を建て毘沙門天を安置した。このため、鞍馬寺と名付けたともいう。(「拾遺往生伝」)
 鞍馬の「鞍」とは「座(くら)」であり、神の座、座位(みましどころ)として、馬具の鞍に見立てたともいう。鞍馬山周辺の地形を馬具の鞍にある居木、前輪、後輪の三部にたとえたためともいう。
◆産業 街道の中継地にあたる集落は、「船のない港」ともいわれ栄えた。
 鞍馬は、ヤマイモ科の野老(ところ)の産地、木芽漬けでも知られる。若狭の魚、花背、九多の材木、薪炭(鞍馬炭)の集積地であり、黒木、柴も産出した。
 明治以降は、「加茂七石」のひとつ鞍馬石の採掘に関わる里人が大半だった。
◆地質・自然
 鞍馬山は、地質学的にも注目されている。2億5千万年、6千万年前、古生代ぺルム紀のグリーンストーンは、海底火山の爆発により生まれた凝灰岩、集塊岩、玄武岩などで、鞍馬山で広く見られる。1億数千万年前、プレートに乗って赤道付近より移動し、隆起によって生まれた。
 庭石として重宝されている鞍馬石は、「加茂七石」の一つになる。花崗閃緑岩に磁硫鉄鉱が含まれており、長年の酸化によって酸化鉄、硫化鉄が生まれることで赤褐色の色に変わる。
 中近世には正月の初寅詣、第二寅詣では、土地の人々が火打石(炉材珪石)を売った。その際に、畚(ふご)という籠に入れて、崖上と里との間で石と銭が交換された。
 鞍馬寺境内にある鞍馬自然博物苑には、鞍馬山で見られるこれらの鉱物、動植物の標本が展示されている。
 鞍馬、貴船一帯の北山は、京都府の「京都の自然200選」に選ばれている。特異な生態を有するモリアオガエル(竜神池)、生きている化石と言われるムカシトンボが生育する。オオムラサキなどチョウ、ガは700種。哺乳類はシカ、キツネ、テン、ムササビ、アナグマなどが生息している。
 鞍馬山で確認されている植物の種類は1000種以上ある。キノコは400種になる。アカイカタケ、クラマノジャガイモタケなど国内初の発見種もある。 
◆鞍馬川 鞍馬山の東の谷に鞍馬川(全長5km)が、西側には貴船川が流れている。鞍馬川は、花背山中に源流がありニノ瀬、貴船口付近で貴船川と合流し、さらに静原川と合流し、鴨川に注いでいる。
 鞍馬石は、鞍馬川上流部に産し、花崗閃緑岩であり、庭石、燈籠などの石材として利用される。
◆建築 鞍馬の町屋は、平入切妻屋根であり、京都市内の町屋と大差ない。ただ、鞍馬には主屋に併設して納屋があり、かつての薪炭問屋の名残になる。かつて、杉板葺であり、現在は瓦葺に変わった。
 民家の「瀧澤家(たきざわけ)住宅」(左京区鞍馬本町445)は、江戸時代後期、1760年に建てられた。1975年に重要文化財に指定されている。瀧澤家は大惣仲間の一軒になる。炭問屋の町屋であり、通り土間形式(土間を通し、居室を一列に並べる)の遺例としては京都市内最古になる。18世紀末、二階部分を高く改修している。近代、杉皮葺より桟瓦葺に改められた。桁行8.7m、梁間11.9m、一部二階、切妻造、桟瓦葺、正面庇付、杉皮葺。
◆サクラ 鞍馬山は、サクラの名所になっており、平安時代には「雲珠桜(うずざくら)」と呼ばれた。この雲珠とは、晴儀用の馬の鞍を飾る宝珠形のものであり、唐鞍ともいわれた。(『袖中抄』)
 鞍馬も「かざりうま」とも訓じられた。(『日本書紀』)。
 藤原定頼は「これやこの 音にききつる 雲珠桜 鞍馬の山に 咲けるなるべし」と詠んだ。謡曲「鞍馬天狗」にも登場する。
 雲珠桜は現在、鞍馬寺寝殿に一本だけ残されている。雲珠桜は特定の品種ではなく、鞍馬一帯に咲く桜の総称ともいう。
 山吹も知られている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『洛北探訪 京郊の自然と文化』『京都市の地名検証』『京都の地名検証 2』『京都の地名検証 3』『京都滋賀 古代地名を歩くⅡ』


  鞍馬寺      貴船神社      貴船        関連           
 鞍馬 京都市左京区 

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