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大珠院 〔龍安寺・妙心寺〕 (京都市右京区) Daishu-in Temple |
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大珠院 | 大珠院 |
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龍安寺境内に塔頭・大珠院(だいしゅ-いん)はある。 臨済宗妙心寺派。 ◆歴史年表 室町時代、1493年、妙心寺22世・興宗宗松(こうじゅう-そうしょう)により創建された。当初は洛中にあり、大珠寺(だいしゅじ)と称した。また、同年、利貞尼が慈斉禅師に帰依して創建したともいう。 1532-1555年/1541年以前、龍安寺境内に移されている。(『龍安日単簿』) 安土・桃山時代、1600年、石河光吉により再興されたともいう。 江戸時代、1626年、石河重正は、亡父・雲岳宗林(石河光吉)の菩提ために再興した。一宝頊座元を中興祖に請じた。 ◆興宗 宗松 室町時代中期-後期の臨済宗の僧・興宗 宗松(こうじゅう-そうしょう、1445-1522)。詳細不明。男性。諡号は大猷慈済禅師。悟渓宗頓(ごけい-そうとん)の法を嗣ぐ。妙心寺、大徳寺の住持になる。1494年、美濃・守護代斎藤利国に招かれ大宝寺を開く。78歳。 ◆利貞尼 室町時代中期-後期の僧・利貞尼(りてい-に、1455?-1536/1537)。女性。細姫。父・関白・一条兼良/野間入道の娘(甘露寺親長の養女)とも。美濃の豪族・斉藤利国の妻になり、夫の戦死後、悟渓宗頓禅師の弟子につき尼になる。1509年、遺領を投げ打ち土地を妙心寺に寄進し、境内を3倍の広さに拡大する。山内に、大珠院、聖沢院、天授院、東海庵を寄進した。81歳?。 ◆石河 貞清 安土桃山時代-江戸時代前期の武将・石河 貞清(いしかわ-さだきよ、?-1626)。男性。通称は兵蔵、号は宗林、光吉(三吉)。美濃(岐阜県)の生まれ。父・石河光重。正室・真田信繁(幸村)の7女・おかね(於金殿)。豊臣秀吉に使番として仕える。1590年、小田原征伐で功を挙げ、1590年、尾張犬山城主になった。豊臣家の信濃木曾の太閤蔵入地代官になる。1591年-1593年、文禄の役で名護屋城の普請工事を担う。1600年、関ヶ原の戦いで西軍・石田三成方に与し、犬山城に稲葉貞通・典通父子らと籠城した。城陥落し敗走し、戦後、所領没収される。池田輝政により助命され、剃髪し宗林(雲岳宗林)と号した。京都で茶人・商人(金融業)として過ごした。 龍安寺・大珠院(北区)に、真田信繁(幸村)夫妻の五輪塔を建立した。 ◆真田 信繁 安土桃山時代-江戸時代初期の武将・真田 信繁(さなだ-のぶしげ、1567-1615)。男性。幼名は源次郎、史料に幸村の名はない。父・信州(長野県)上田城主・真田昌幸、母・右大臣菊亭(今出川)晴季の娘の次男。1585年、一次上田合戦で徳川氏と戦い、上杉景勝の人質になる。1587年、父が豊臣秀吉に従し、大坂城へ出仕。1600年、関ヶ原の戦で、父と共に石田三成方につき上田城で籠城した。敗戦後、父と共に高野山麓の九度山に流された。1611年、父死去、1612年、出家し好白と号した。1614年、大坂冬の陣で、城外堀の天王寺口に出城「真田丸」を築き奮戦する。1615年、夏の陣で松平忠直に敗れ戦死した。49歳。 墓は龍安寺・大珠院(北区)などにある。 ◆鏡容池 衣笠山、朱山を背景、借景とする「龍安寺庭園」(国の名勝)がある。その中の、鏡容(きょうよう)池は、「おしどり池」ともいわれる。近代以前は石庭よりも知られていた。東西120m、南北65m、広さは26000㎡ある。石庭と鏡容池は独立した庭園であり、互いに連関しているともいう。 かつて、潅漑用の溜池が造られており、それを池泉にしたという。平安時代の名池の一つで、もとは円融天皇の建立した円融寺の苑池だった。その後、鎌倉時代、山荘を建てた徳大寺実能、孫・実定が作庭した。室町時代以降に度々改修が行われた。 平安時代の舟遊び様式、鎌倉時代の回遊様式を兼ねている。多島式池泉の庭園であり、また、宗像式苑池形式といわれ、三神を祀る三島を直線状に配置している。現在、池には三つの島、東の「伏虎(ふしこ)島」、中央の「弁天島」、西の「無名の島」がある。弁天島には石田三成(1560-1600)の墓、無名の島には真田幸村(1567/1570-1615/1641)の墓(腕墓とも)がある。池は豊臣秀吉(1536/1537-1598)も大いに気に入り、鳥獣・木々の保護の高札(制札)を出した。秀吉は庭園で盛大な花見の宴を催した。 池中の水分石(みくまり-いし)は、徳大寺の遺構という。この地点を境にして南東、南西に水が流れていたとされ水分石といわれた。池の水嵩を調整する指標にも使われていた。水に石が沈むと水門を開いて池の水を落とした。 近代、明治期(1868-1912)末まで、池はオシドリの名所として知られていた。池には睡蓮(5月-9月)、花菖蒲(6月)が咲く。紅葉の頃も美しい。 ◆墓 院前の池中に、真田信繁(幸村)夫妻の五輪塔がある。 ◆年間行事 坐禅会が開かれている。 *非公開 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『妙心寺』、『妙心寺 六百五十年の歩み』、『続・京都史跡事典』、『昭和京都名所図会 4 洛西』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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