天球院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Tenkyu-in Temple
天球院  天球院  
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 妙心寺境内北西に塔頭のひとつ天球院(てんきゅういん)がある。絵師の狩野山楽、山雪の障壁画を多数所蔵する。 
 臨済宗妙心寺派大本山。東海派下興宗(こうじゅう)派。
 御朱印(特別拝観時限定)が授けられる。
◆歴史年表 江戸時代、1630年、江山景巴は南の妙心寺塔頭・寿聖院より寺地を譲り受ける。
 1631年、1631年-1635年とも、天久院殿が岡山藩池田宗家3代・池田光政の支援を得て創建した。妙心寺140世・江山景巴を開山に迎え、自らの菩提寺とした。以後、近代まで、池田家菩掟所として外護を受ける。
 寛永期(1624-1644)、現在の方丈が建てられる。
 現代、2013年、「綴プロジェクト(文化財未来継承プロジェクト)」は、狩野山楽、山雪筆の障壁画「竹に虎図襖」4面、「籬に草花図」のうち「朝顔図」4面の高精細複製品を同寺に寄贈した。
 2014年、「綴プロジェクト(文化財未来継承プロジェクト)」は、狩野山楽・山雪筆「竹に虎図襖」4面、「梅花遊禽図襖籬」4面の高精細複製品を同寺に寄贈した。
◆江山景巴 江戸時代の僧・江山景巴(こうざん けいは、生没年不詳)。詳細不明。鳥取、池田家菩提寺の龍峰寺3世。妙心寺140世、天球院開祖となる。
◆天久院殿 室町時代-江戸時代の女性・天久院殿(1568-1636)。天球院、天球印。姫路初代藩主・池田信輝3女。因幡の若桜城主・山崎家盛の室になる。子はなく後に離縁。池田家に戻り天球印様と呼ばれた。1600年、関ヶ原の戦で、池田輝政に再嫁した徳川家康2女・督姫(良正院)を救ったという。龍峰寺の江山景巴に帰依し、1631年、妙心寺・天球院の開基になる。
◆池田光政 江戸時代前期の大名・池田光政(1609-1682)。姫路藩主・池田利隆の長男。1616年、播磨姫路藩主池田家3代、1617年、因幡鳥取藩主。1628年、天樹院千姫の娘・勝子と結婚、1632年、従弟・池田光仲との国替えにより備前岡山藩主池田家初代。陽明学者・熊沢蕃山を藩に招く。1654年、備前大洪水の被災者救済を行う。藩政改革を行い、藩士・津田永忠を登用して新田開発、手習所の設立、藩学校の新築、庶民教育の郷学閑谷(しずたに)学校などを開設した。名君と謳われた。
 妻・勝子は、備前大洪水の際に逼迫した藩財政を見て、母・天樹院(千姫)に頼み、資金を得て光政を助けた。
◆狩野山楽 安土・桃山時代-江戸時代初期の画家・狩野山楽(1559-1635)。近江に生まれた。父・木村永光は浅井長政の家臣。当初は長政に仕え、後に豊臣秀吉の近侍となる。秀吉の推挙で狩野永徳の門人となり、養子となり狩野氏を許された。1590年、秀吉の命により、病に倒れた師・永徳を継ぎ、東福寺法堂「蟠竜図天井画」(1881年焼失)の修復を数日で完成させる。1594年、伏見城、1597年、再建の伏見城、1604年、大坂城の千畳敷大広間の障壁画にも参加した。1615年、豊臣家滅亡で大坂城を脱出し、男山八幡宮の社僧で山楽の弟子・松花堂昭乗のもとに身を隠した。於江与(崇徳院)らの取成しにより京都に帰る。2代将軍徳川秀忠、3代将軍家光に重用され、再建された四天王寺、大坂城本丸障壁画、妙心寺・天球院障壁画などにも加わる。代表作に正伝寺方丈、養源院の障壁画がある。
 泉涌寺に葬られた。山楽、山雪の子孫は京都に住み京狩野と呼ばれた。
◆狩野山雪
 安土・桃山時代-江戸時代の画家・狩野山雪(1589-1651)。名は光家。肥前に生まれる。父は千賀道元。一家で大坂に移り、16歳で父没後、狩野山楽の門人になる。山楽の娘婿となり、狩野氏を継いだ。1629年頃、山楽とともに「当麻寺縁起絵巻」、1631年、山楽に代わり妙心寺・天球院の障壁画を手掛ける。1632年、林羅山の依頼で、林氏学問所先聖殿「歴聖大儒像」、1635年、山楽没後京狩野2代を継ぐ。1639年、清水寺の「繋馬図絵馬」、1647年、九条家の命により東福寺蔵の伝明兆筆「三十三観音像」中の2幅を補作、法橋に叙せられる。同年泉涌寺舎利殿の天井画雲竜図を制作。1649年何らかの理由により投獄、没。泉涌寺に葬られた。
 400人の画人伝『本朝画史』(1691)は草稿段階で山雪が亡くなり、後に子の狩野永納が引き継いで刊行した。
◆建築 「本堂」(重文)は玄関を含め大型方丈形式で、江戸時代の禅宗方丈建築の典型とされている。桁行七間、梁行六間、単層入母屋造、桟瓦葺、唐破風こけら葺の玄関が付く。
◆障壁画 本堂(方丈)には、襖絵56面、杉戸絵16枚ほか全体で152面(重文)の障壁画がある。江戸時代(17世紀)、狩野山雪が狩野山楽と共同制作したとされる。ただ、山楽は当時すでに70歳代であり、43歳の山雪の後見に入り、実際には山雪が中心になったとみられている。山雪は抽象的な作風で知られ、前衛的な伊藤若冲、曽我蕭白らの先駆になった。
 下間二の間、金碧画「籬(まがき)に草花図」18面は、金地に籬に青、白の朝顔、鉄線花などの蔓が絡みつく様を描いている。夏から秋にかけての草花、白、赤の菊や鉄砲百合などがこれを彩る。
 上間二の間の金碧画「梅花遊禽図」18面は、垂直方向の二本の檜、水平方向に延びる地面、さらに全体に枝を張る梅の古木が対比されている。枝上部は金雲で省略される。画面随所に雉、鳩、真鴨が描かれ引き絞める。また、S字に湾曲した梅の大木が画面全体に配され、右端の岩上に雉が佇む。山楽の幾何学的な構図の梅木は、流出した「老松図」(ニューヨーク・メトロポリタン美術館)にも同様にみられる。190×141.7cm。京都国立博物館寄託。
 室中の金碧画「竹に虎図」20面は、室全体が竹林の中にあるように描かれる。竹は垂直方向に延び、岩にも縦横の線が入り、垂直、直線が意識されている。竹の間に虎が描かれる。親子の虎が戯れる。一頭の虎が現れる。
 下間一の間に作者不明の「山水人物図」14面、上間一の間に「山水人物図」22面、仏壇の間に「老松図・唐獅子図」15面、杉戸絵16面がある。
◆文化財 「法華経陀羅尼品」(重文)、鎌倉時代、1325年作、藤原宣房筆。
 雪江宗深筆「関山国師行記」、頂相「興宗禅師像」。
◆年間行事 特別拝観(限定の御朱印授与。)(不定期)。


*普段は非公開。
*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『京都遊行』『障壁画の見方』『京都大事典』『京都古社寺辞典』『京都で日本美術をみる』『京都の隠れた御朱印ブック』『週刊 日本の美をめぐる 室町5 38 狩野派の流れ 元信 永徳 探幽』 


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天球院 〒616-8035 京都市右京区花園妙心寺町46  075-462-9041
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