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宝泉寺 (京都市右京区京北町) Hosen-ji Temple |
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宝泉寺 | 宝泉寺 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() ![]() 大慈殿(阿弥陀堂) ![]() 大慈殿(阿弥陀堂) ![]() 大慈殿(阿弥陀堂)、阿弥陀如来坐像(京都市文化財) ![]() ![]() 護摩堂(不動堂)、不動明王坐像 ![]() ![]() ![]() 紅枝垂れ桜 ![]() 紅枝垂れ桜 |
京北町の宝泉寺(ほうせん-じ)は、桜の名所として知られる。多くの経典・仏像を蔵している。山号は金華山という。 古義真言宗御室派、本尊は、十一面観世音菩薩。 古くより、病気平癒に霊験ありと信仰を集めた。北桑西国第27番霊場。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 平安時代、1069年、開基は第71代・後三条天皇(1068-1072)の時ともいう。願主は不詳という。神護寺塔頭・宝泉院を下熊田(しもくまた)村に移し、金華山と号したという。初代開基第1世は心蓮上人ともいう。 1139年、僧・文覚は神護寺塔頭・宝泉院を開創し、宝泉寺の前身になったともいう。(寺伝) 1151年、泰親家の発願により『大般若経』が書写され、大和・真楽寺に納められる。 南北朝時代、1356年、高雄山・神護寺の心蓮上人は、十一面観音菩薩を本尊とし、この地、下熊田村に宝泉院を遷し開基した。寺号を宝泉寺に改めたともいう。(寺伝)。以来、病気平癒に格別の霊験ある寺として信仰を集めた。 室町時代、1462年、別当・祐慶の時、『大般若経』は修復された。(『大般若経』巻末奥書) 1533年、『大般若経』12巻が盗難に遭う。 1560年、『五部大乗経』は、これまで下熊田・成願寺の所有になっていた。(「辛櫃蓋裏の銘」)。この時、宝泉寺に移された。 江戸時代、1835年、「天雅(あめわか)神社に三間四方の阿弥陀堂あり」と、寺社奉行へ報告する。 近代、1868年、神仏分離令により『大般若経』、阿弥陀如来坐像が宝泉寺に移る。 1881年、 旧阿弥陀堂が改修されている。(棟札) 1894年、密厳寺が廃寺になり、不動尊・仏具などが宝泉寺へ移された。 現代、1996年、大慈殿(阿弥陀堂)が完成した。 ◆文覚 平安時代後期-鎌倉時代前期の真言宗の僧・文覚(もんがく、1139-1205)。男性。俗名を遠藤盛遠(もりとお)。「荒法師」といわれた。摂津国(大阪府・兵庫県)の武士の家に生まれる。幼くして両親を失う。摂津源氏傘下の摂津国・渡辺党の武士で、上西門院(第74代・鳥羽天皇皇女)に仕える北面の武士になる。1159年、18歳で従兄弟で同僚の渡辺渡(わたる、渡辺左衛門尉源渡)の妻、袈裟御前に横恋慕し、誤って殺したことから出家し、文覚と称した。那智、熊野で修行する。荒廃していた神護寺に入り、1173年、再興のために、第77代・後白河天皇に勧進を強訴し、不敬罪で伊豆国に配流された。その地で知り合った源頼朝に平家打倒の挙兵を促したという。盛遠は、密かに京都に戻り、後白河院の院宣を得て頼朝に伝えた。1192年(1185年)、鎌倉幕府成立後、頼朝、後白河院の庇護を受ける。神護寺再興を果たし、東寺 高野山などの修復も手がけた。頼朝の死後、1199年、後鳥羽上皇(第82代)により佐渡国へ再び流罪となる。一度許されて京都に戻る。1205年、謀反を疑われ三度目となる対馬に流され客死した。65歳。 弟子に神護寺復興を継いだ上覚、孫弟子に高山寺開山の明恵らがいる。 ◆心蓮 南北朝時代の僧・心蓮(?-?)。詳細不明。神護寺の僧。1356年、神護寺塔頭・宝泉院を下熊田村に移し、十一面観音を秘仏本尊とし、寺号を宝泉寺を開山したという。1069年の宝泉寺の初代開基第1世は心蓮上人ともいう。 ◆仏像・石像 ◈ 本尊は秘仏の木造「十一面観世音坐像」になる。年代不詳。 ◈ 木造「阿弥陀如来坐像」(京都市指定登録文化財)は、平安時代後期作になる。かつて神護寺宝泉寺にあった。南北朝時代、1356年に下熊田村の西方山麓にある旧村社・天稚(あめわか)神社(祭神は天雅彦命[あめのわかひこのみこと]、天津国魂命[あまつくにたまのみこと]、下照比咩命[したてるひめのみこと)境内の阿弥陀堂安置された。(五部大乗経辛櫃蓋裏書)。宝泉寺は、当社の神宮寺(別当寺)だったともいう。近代、1868年の神仏分離に伴い当寺に遷されている。「定朝」風、小粒の螺髪、やや伏目がちの相好、肩から腹部にかけての衣文はゆったりとし、膝の衣文も整う。 ◈ 木造「二天王立像(多聞天・増長天)」2体は、平安時代作。 ◈ 木造「不動明王坐像」は江戸時代作。木造「弘法大師坐像」は江戸時代作。 ◈ ほか、「唐銅造誕生佛像」、「脇仏多聞天立像」、木造「地蔵菩薩坐像」などが安置されている。 ◈ 境内安置仏として、銅造「修行大師立像」、石造「子育水子地蔵尊立像」、「御丈」、「子安地蔵尊」、「無縁石仏群」などがある。 ◆建築 ◈大慈殿(阿弥陀堂)について、江戸時代後期、1835年には、「天雅神社に三間四方の阿弥陀堂あり」と、寺社奉行へ報告したという。この頃、阿弥陀堂は天雅神社内にあり、その後、移されたともいう。 ◈山門は木造、瓦葦、朱塗り。 ◈ほか、本堂・庫裡、護摩堂(不動堂)、客殿・廊下、寺務所兼庫裡、宝蔵、子安地蔵堂、極楽橋などがある。 ◆文化財 ◈ 平安時代-室町時代作の「古写大般若経」534巻。 ◈ 南北朝時代作の「古版五部大乗経」162巻。 ◈ 鎌倉時代作の絹本著色「三蔵法師像」1幅。 ◈ 鎌倉時代作の絹本著色「弘法大師画像(天台大師像)」1幅。 ◈ 室町時代中期作、絹本著色「釈迦十六善神像」1幅。(京都市指定登録文化財)。 ◈江戸時代作の木造「弘法大師坐像」。 ◆大般若経 本堂裏の竹林の中に、方1間の経蔵があり、室町時代前期の『大般若経』600余巻を蔵している。当寺の大般若経について変遷がある。 鎌倉時代前期、1220年に経箱60個(40個現存)が新調されている。南北朝時代、1387年に、大般若経が補写されている。南北朝時代-室町時代には、大般若経は下熊田(天雅神社)?へ移された。 室町時代中期、1462年、別当・祐慶の時、大般若経は修復されている。(巻末奥書)。室町時代後期、1517年、南之坊別当・慶嚴の時、大般若経の紐を付替ている。1528年、慶嚴の時、大般若経は虫振りされている。1531年には2夜3日にわたり虫振りが行われた。1533年に大般若経12巻は盗難にあう。1537年-1539年には盗難分の補写が行われた。 安土・桃山時代、1577年にも虫振りが行われた。江戸時代中期、1738年に大般若経番付が行われ、1766年時点で、大般若経66巻が不足していた。江戸時代後期、1793年に虫振りを行い、大般若経の調べをする。1815年に下熊田村中寺社奉行に「大般若経不足相改帳」を報告している。 ◆文覚・宝泉院 平安時代後期、1139年に、文覚(1139-1203)により宝泉院(宝泉寺の前身)は開創されたという。当時、弘法大師・空海(774-835)が真言密教の根本道場とした神護寺は荒廃していた。「人法共に断絶堂屋ことごとく破滅」という状況下で、文覚は神護寺再興のため発願し、勧進僧とし尽力する。その後、後白河上皇(1127-1192)、源頼朝(1147-1199)の助縁を得て再興した。 この時、再建された山内に宝泉院と称する塔頭寺院があり、文覚による宝泉寺創建伝承の由来になったという。(寺伝) ◆心蓮・宝泉寺 南北朝時代、1356年に、高雄山・神護寺の心蓮上人は、十一面観音菩薩を本尊とし、この地、下熊田村に宝泉寺を開基したともいう。病気平癒に霊験あり信仰を集めた。 阿弥陀如来像は、下熊田村の西方にある天雅(あめわか)神社(祭神は天雅彦命、天津国魂命、下照比咩命)の境内に安置されたという。宝泉寺は、当社の神宮寺(別当寺)だったともいう。この頃、『五部大乗経』は神護寺宝泉寺の所有になっていた。(「辛櫃蓋裏の銘」)。なお、心蓮は、平安時代後期、1069年の初代開基第1世ともいう。 ◆桜 境内に観音桜、平安しだれ桜、八重紅(京紅)しだれ桜、御室桜などが植えられている。 「さくらまつり」(4月中旬)が行われ、遅咲きの桜が愉しめる。 ◆年間行事 「年賀」(元旦に檀家戸主がお年玉を持ち、住職と年賀挨拶を交す。寺より蜜柑、のし昆布を渡す。客殿で、三種の肴の高膳に向い、新年を祝う。)(1月1日)、「荒神払」(檀家の竈の神を祀る三宝荒神に、新しい御幣を奉る。)(1月3日)、「七草粥」(春の七草粥を仏壇に供える。)(1月7日)、「正月初祈祷」(護摩堂の不動明王を本尊とした護摩祈祷会を行う。本堂では、大般若経の転読と加持祈祷も行う。)(1月15日)、「節分会」(星供札と節分の豆を参拝者に授与する。)(2月3日)、「涅般会」(涅般図を掲げ、菓子「はなくそ」を供え釈迦の徳を称える。)(3月15日)、「春の彼岸会」(3月彼岸日)、「さくらまつり」(四国八十八ヶ所霊場お砂ふみ巡拝、郷土食や野菜の販売も行う。)(4月17日-4月22日)、「潅仏会」(かんぶつえ、新月5月8日に釈尊の降誕を祝う花祭り。花で飾った御堂「花御堂」に釈迦誕生佛を安置し、新鮮な甘茶を注ぐ。季節の花を束ね、長い竹の先に結び、空高く天道に供え天地の恵みに感謝する。)(5月8日)、「青葉まつり」(弘法大師の誕生会。)(6月15日)、「四国八十八ヶ所お砂踏み」(本堂に特設された四国八十八ヶ所の寺を巡拝し、本四国八十八ヶ所の功徳を受ける。)(6月中旬)、「しょうぶまつり」(6月)、「虫送り」(土用の入の日、村中に侵入する害虫・疫病・災難などを防ぐ。祈祷札を竹笹の先端に結び付け、集落の出入口に立て住職が経を唱える。)(7月22日)、「お経くり」(土用入の日より3日目の朝に、大般若経の虫干しを行う。500年以上の歴史がある。主に禰宜が進行し、宝蔵より辛櫃が運び出され、本堂に並べられた経箱に風を入れる。午後、十六善神を本尊とし大般若経の転読、参詣者に加持祈祷を行う。)(7月26日)、「施餓鬼会」(先祖、一切万霊を供養する法会。組み立てた施餓鬼棚の四隅、正面に笹竹に結ばれた五色の幡を配し、無縁の精霊も供養する。供物を施餓鬼棚に供える。)(8月15日)、「地蔵盆」(水子供養会、子安地蔵盆)(8月23日)、「秋の彼岸会」(9月彼岸日)、「十夜の日待ち」(お供物、版木によるお守りが配られる。)(旧暦10月12日)、「斉米よせ」(収穫した新米を檀家から初穂として先祖にお供えする。)(12月15日頃)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 ウェブサイト「宝泉寺」、『京都府の地名』、『京北町』、『京都さくら散歩』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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