正定院 (京都市右京区) 
Shojo-in Temple
 正定院  正定院 
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山門



山門



山門


本堂



地蔵堂



地蔵堂



天道大日如来、地蔵尊を安置する祠






 嵯峨朝日町、三条通北の住宅地に正定院(しょうじょういん)はある。江戸時代後期の勤皇の材木商・福田理兵衛ゆかりの寺になっている。
 浄土宗。本尊は歯仏阿弥陀如来。
◆歴史年表 室町時代、天文年間(1532-1555)、称念を開基とし、下嵯峨川端村の材木商、大八木、福田家両家が建立した。 
 江戸時代、1853年、材木商・福田理兵衛は、下嵯峨材木町(現朝日町)の当院開山、称念300回忌遠忌法要施行に当り、開基「大八木、福田両氏夫妻」の木造と位牌を再調し寄進した。
◆称念 室町時代後期の浄土宗の僧・称念(1513-1554)。江戸の生まれ。俗姓は藤田、字は吟応(翁)、号は三蓮社縁誉。8歳で江戸・増上寺で親誉、下総国飯沼・弘経寺の祖洞に師事した。江戸・天智庵を開創する。1548年、知恩院祖廟の南隣に草庵を結び六時念仏を行う。信徒により堂舎が建てられ、念仏三昧の道場、一心院になる。「念仏道場七箇条」「別時念仏十一箇条」などを定めた。47ほどの寺院を開く。著『安心鈔』『要義鈔』。42歳。
 浄土宗捨世派の祖。  
◆福田(屋)理兵衛 江戸時代後期-近代の材木商・尊攘家・福田(屋)理兵衛(ふくだ-りへい、1863-1872)。嵯峨村生まれ。福田三郎左衛門薫家(ただいえ)の長男。叔父・久置が養育した。材木問屋を営み、多量の材木を貯蔵していた。大火後に高騰した材木の販売により富を得た。大庄屋、総年寄りになる。仁和寺宮、天龍寺、八幡公文所、阿野家の内用を務めた。高瀬川開削、清滝川整備にも関わったという。幕末、勤皇の志高く、吉田松陰、桂小五郎らにも資金提供した。1858年-1859年、安政の大獄には難を逃れる。1862年、長州・毛利元徳の上洛に際し、天龍寺、清凉寺、民家などを宿舎、本陣として手配した。その功により、長州藩御用達商人に取り立てられた。1863年、京都に残った小五郎、久坂玄瑞らを支援する。1864年、長州藩が天龍寺に陣を構えた際にも、借入、物資を支援した。蛤御門の変(禁門の変)では、子・信太郎ともに長州軍遊撃隊に加わる。戦に敗北すると、妻子を残し長州萩に避難した。薩摩軍により自宅の家財道具は没収され、家は焼き払われた。その後、萩・長州藩の士分になる。1867年、王制復古後、遠近組の郡方御用掛になる。1870年、京都に戻る。1872年、京都に戻る矢先に、萩で何者かに斬られ亡くなる。59歳。
 車折神社の末社・葵忠(きちゅう)社(右京区)に祭神として祀られている。正定院(右京区)にも墓がある。
◆墓仏像 旧西福寺本堂の「阿弥陀像」は、正定院に遷されたともいう。
◆墓 幕末の勤皇家、福田理兵衛の墓がある。


*参考文献・資料 『京都大事典』、『京都大知典』 、『京都幕末維新かくれ史跡を歩く』、ウェブサイト「コトバンク」


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正定院  〒616-8343 京都市右京区嵯峨朝日町7  075-861-2526 
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