薬祖神祠 (京都市中京区)
Yakuso-jinshi Shrine
薬祖神祠 薬祖神祠 
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拝殿、全面ガラス張りになっている。


本殿、拝殿奥にある。ガラスを通して拝する。


神農


神農



ヒポクラテス
 二条通を挟んだ商店街に北側に、南面して小社の薬祖神祠(やくそじんし)がある。 
 祭神は大巳貴命(おおなむちのみこと)、小彦名命(すくなひこなのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、神農、ヒポクラテスも祀る。
 医療、医薬品事業の繁盛の信仰を集めている。
◆歴史年表 江戸時代、1858年、創建されたという。薬業仲間が祀ったものという。
 近代、1906年、現在地に移された。
◆神農 古代中国の伝承の皇帝・神農(しんのう)。神農氏とも呼ばれた。後に、炎帝と結びつき、五行の火の徳により王になり、炎帝神農氏と称された。人身牛首か龍の炎帝だったという。古代の伝説上の聖天子8人の総称「三皇五帝」のうちの、「三皇」の一人とされた。三皇とは燧人(すいじん) /女媧(じょか)、伏羲(ふくぎ/ふっき)、神農が当てられた。
 様々な説話が生まれた。神農は、医療と農耕の術を教えたという。百草を調べ、草を舐めて効能を確かめた。鍬などの農具を発明し、養蚕、五穀を蒔き人々に農業を教えた。市場を開き交易、商業を教えた。五弦の楽器の瑟(しつ)を作った。占いの記号である八卦(はっか)を重ね、六四爻(こう)を作ったという。在位120年、子孫8代、520年で黄帝の世になったという。中国文化の源とされ、農業、鍛冶、本草医学・医薬、音楽、占筮、経済・商業などの祖神だったという。
 日本では漢方医、薬種商によって祀られ、農耕神、医薬神であり、医者、商人に信仰された。祭日の冬至の日には、無病息災を祈い「神農さん」の社での祭事、漢方医の家での神農祭を催した。
◆ヒポクラテス 古代ギリシャの医学者・ヒポクラテス(Hippokratēs、前460頃-前375頃)。ヒッポクラテス。コス島の生まれ。父・ヘラクレイデス/ヒポクラテスも医師だった。父から医術を学ぶ。前431-前404年、アテネ、スパルタ間のギリシアを2分したペロポネソス戦争の際に、アテナイなどの諸都市を疫病から救い、アテナイの市民権を与えられた。両親の死後、小アジア、ギリシア各地を遍歴し、多くの哲学者、医学者と交わる。医学を教え医療を施した。後に故郷に帰り、診療、著述を行う。テッサリア地方ラリッサで死んだという。
 臨床の観察、経験を重視し、科学的医学の基礎を築いた。医師の倫理も重んじ、医聖、医学の父と称された。『ヒポクラテス全集』(前3世紀) は没後に、アレクサンドリアの学者によって編集された。人体の生理・病理は、4種の体液(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁)から成り、人体は四元素(火、水、空気、土)より成る。これらの不調和を病気とした。病いを治すのは自然であり、予後学を重視した。解剖学、婦人病、小児病、外科、食餌・薬物療法など、近代まで医学界に影響を与えた。85/83/90/104/109歳。
◆東玉屋町 かつて一帯には、薬問屋が建ち並び、同業者町になっていた。
◆年間行事 薬神祭(11月)。薬祖神祭は、江戸時代後期に「薬師講」として神農を祀ったのを始まりにする。薬種の人形を奉納する。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『日本地名大辞典 京都府 下』、『京都大知典』、『京都歴史案内』、ウェブサイト「コトバンク」


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薬祖神祠 〒604-0855 京都市中京区東玉屋町,二条通両替町西入ル北側  
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