妙応寺 (京都市伏見区)
Myoo-ji Temple
妙応寺 妙応寺
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 天智天皇陵の南東、山科疏水の南の住宅地内に妙応寺(みょうおうじ)の赤門が目に入る。飛鳥時代の第38代・天智天皇ゆかりの寺という。
 山号は龍徳山という。 
 黄檗宗の万福寺の末寺、本尊は観世音菩薩。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 年代不詳、妙応寺は明王寺とも記され、飛鳥時代の第38代・天智天皇(626-672)を祀る天智天皇ノ社の神宮寺だったという。当初は天台宗だったという。
 飛鳥時代、白鳳年間(645-710)、天智天皇の勅達に係るという。(『京都府地誌』)
 江戸時代、1680年、宝洲により再興されたともいう。(『京都府地誌』)
 1682年頃、明王寺と呼ばれ、天智天皇社の神宮寺であり、浄土宗の僧が護っていると記されている。(『雍州府志』)
 その後、黄檗宗万福寺派に改宗し、山号寺号も竜(龍)徳山妙応寺に改めた。
 1706年、妙応寺は御陵村郷士より僧・雪巣へ譲渡され再興される。(「比留田家文書」)
 近代、1868年頃?、天智陵前に祀られていた小祠が妙応寺境内に遷され、鎮守社弁財天祠の傍らに祀られたともいう。
◆天智天皇
 飛鳥時代の第38代・天智天皇(てんじ てんのう、626-672)。葛城(かずらきの)皇子、中大兄(なかのおおえの)皇子などとも称された。第34代・舒明(じょめい)天皇皇子、母は宝皇女(後の第35代・皇極・第37代・斉明天皇)。644年、中臣鎌子(なかとみのかまこ、藤原鎌足)、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)と蘇我氏打倒を図る。645年、蘇我入鹿を誅(ちゅう、殺す)し、第36代・孝徳天皇が即位、自らは皇太子に任じられ実資的な執政を行う。大化の年号が始まる。異母兄・古人(ふるひと)大兄皇子を討つ。646年、改新の詔が発せられ公地公民制の実現を図る。649年、蘇我倉山田石川麻呂を自決させた。654年、第37代・斉明天皇が即位する。658年、孝徳天皇の子・有間(ありま)皇子を謀反の名目で処刑した。661年、斉明天皇没後、即位せずに7年間政務を執る。(称制)663年、日本の水軍27000は、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との白村江(はくすきのえ)で敗れ戦後処理などを行う。664年、二十六階の冠位制を設け、氏上(うじのかみ)など官人の整備を行う。対馬などに防人(さきもり)、烽(とぶひ)を置き、筑紫に水城(みずき)を築く。667年、大和・飛鳥より近江・大津京に遷都し、弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)を皇太弟とした。668年、即位する。大津京鎮護のために、大和三輪山の大神(おおみわ)神社から大己貴神(大物主大神)を大宮(現在の日吉大社西本宮)に勧請した。670年、初の戸籍、庚午年籍(こうごねんじゃく)を作る。671年、大友皇子を太政大臣とし、子・大友皇子の政権確立を意図した。初の法典・近江令(りょう)を施行したともいう。自ら製造したという漏刻(ろうこく、水時計)を初めて用いる。
 『万葉集』に4首の歌を残す。近江大津宮で亡くなる。墓所は山科陵とされる。
◆仏像 本堂安置の本尊・観世音菩薩は胎内仏を納める。かつて天智天皇の冠に納められていた尊像という。
◆明王寺 妙応寺は天智天皇陵のある陵村(宇治郡)にあった。かつて明王寺と記され、山号は陵道山と称したという。また、俗称として奥堂(おくのどう)と呼ばれた。天智天皇社の神宮寺であり、江戸時代には浄土宗の僧が護っていたという。
 本尊は釈迦、左に十一面観音、右に不動明王を安置していた。(『雍州府志』)。本尊は慈覚大師(円仁、794-864)作だったという。
 かつては天台宗であり、その後、黄檗宗万福寺派に改宗し竜徳山妙応寺に改めた。
◆池 伝承がある。かつて境内東南に「鏡池」があり、天智天皇の昇天の際に姿を写したという。霊水は年間を通して増減しなかったという。ただ、古くよりの伝承ではない。池は近代に埋められた。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『雍州府志』『史料京都の歴史11 山科区』『京都大知典』『近江神宮 天智天皇と大津京』


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弁財天社(左)、岩屋神社、かつて山科疏水近くの境内地にあり、1959年の伊勢湾台風で被害を受け現在地に遷したともいう。

弁財天社、かつて天降りの尊像といわれ水晶の中に安置されていたという。(『拾遺都名所図会』)

岩屋神社

【参照】天智天皇山科陵、境内北西にある。

天智天皇山科陵

【参照】境内の近くを流れている山科疏水(琵琶湖疏水)
 妙応寺 〒607-8417 京都市山科区御陵別所町77-1   075-591-9736
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