地福寺 (京都市西京区)
Jifuku-ji Temple
地福寺 地福寺 
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 旧山陰道(府道142号線)より北、住宅地に入ると石段上に地福寺(じふくじ)がある。山号は天林山という。
 西山浄土宗、本尊は阿弥陀如来坐像。 
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 年代不詳、かつて峯ヶ堂中山寺という大寺があり、山内に地福寺があったという。(『本尊阿弥陀如来縁起』)
 平安時代末期、1186年、遊行聖・花元により創建されたという。 
 江戸時代末期、1772年、量空呑海により再建され、呑海は中興開山になる。現在の御堂が改築された。
 現代、1990年、義空信道により現在の本堂が再建された。
 2009年、木造の阿弥陀如来坐像は、京都市指定有形文化財に指定された。
◆花元 平安時代-鎌倉時代の僧・花元(生没年不詳)。遊行聖。法然の高弟。1186年、地福寺を創建した。
◆量空呑海 江戸時代末期の僧・量空呑海(生没年不詳)。1772年、地福寺を再建した。名古屋・正往院の住職、京都・光明寺の52世管長。
◆義空信道 近現代の僧・義空信道(?-2006)。地福寺20世、平成の中興開山。92歳。
◆仏像 木造の「阿弥陀如来坐像」(京都市指定登録文化財)(85.4/80.6㎝)は、平安時代、9-10世紀(801-1000)の行基作との伝承がある。かつて峯ヶ堂中山寺にあり、鎌倉時代、1332年の兵火罹災により子院・地福寺に遷されたという。(『本尊阿弥陀如来縁起』)。また、松尾葉室の峯堂、峯堂の前身である松尾山寺の遺仏ともいう。詳細は不明。
 定印を結び、右足前の結跏趺坐をとる。体に厚みがあり通肩に袈裟を纏う。顔は強い意思を表すかのようであり、浅い目の彫りであり眉も浅く彫られ斜めに上る。小鼻は左右に広がり、厚い唇、耳朶を反らせた耳も大きい。螺髪は浅く彫られ、頭頂から背面にかけて大部分はない。側面から前面の螺髪は小粒、球状になっている。頭、体の背面から内刳が施されている。背面の彫りは簡略になる。衣文の流れも肩、膝から印を結んだ手に向かって左右対称に集中する。頭体、足膝部に縦木、膝頭に矧ぎ寄せる。カヤかヒノキ材製の一木造。
◆行基 本尊の阿弥陀如来坐像は、行基作との伝承がある。かつて峯ヶ堂中山寺という大寺があり、山内に地福寺があったという。兵火により焼失し、仏像は当寺に遷されたとの伝承がある。
 この地は大江里と呼ばれた。行基は、西国へ通じる9か所の要衝地に、旅人のための宿泊施設「布施屋(ふせや)」を置いたという。
◆年間行事 拝賀式(1月1日)、信道忌(1月17日)、涅槃会(2月14日)、春彼岸会・歴代上人忌(3月17日-23日)、呑海忌(7月15日)、七日盆(8月7日)、施餓鬼会・初盆供養(8月20日)、秋彼岸会・歴代上人会(9月20日-26日)、御十夜会(11月15日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『地福寺 本尊阿弥陀如来縁起』『京都大知典』『飛鳥白鳳の甍 京都市の古代寺院』『京都・大枝の歴史と文化』『古佛』


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本堂

本堂

本尊・阿弥陀如来坐像

歴代上人の墓、2007年建立
 地福寺 〒610-1104  京都市西京区大枝中山町1-14  075-331-0255 
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