親鸞御荼毘所 (京都市東山区)
Site of cremation of Shiran
親鸞御荼毘所  親鸞御荼毘所
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参道入口、大谷道に接している。




参道、北谷墓地内を通り抜ける。



墓地より下に谷があり、急な階段を下りたところに御荼毘所はある。



御荼毘所



御荼毘所の石標「親鸞聖人奉火葬之古蹟」とある。



【参照】周辺一帯には大谷墓地が広がる。奥に清水寺が見える。
 鳥辺山、大谷墓地の北端北谷墓地内、大谷本廟の飛び地に、浄土真宗本願寺派(西本願寺)で親鸞が荼毘に伏されたとされる御荼毘所(おだびしょ)がある。 
◆親鸞 平安時代後期-鎌倉時代中期の天台宗の僧・親鸞(しんらん、1173-1263)。法名は綽空(しゃくくう)、善信、範宴、号は愚禿(ぐとく)、諡号は見真大師。京都の日野(伏見区)の長男。父は藤原北家の流れをくむ日野有範。母は源氏の出身。幼くして両親を失う。1181年、叔父・日野範綱に連れられ、9歳で青蓮院・慈円のもとで出家得度し範宴(はんねん)と称した。以後、比叡山横川首楞厳院の堂僧として20年間修行を続けた。東塔無動寺谷・大乗院で修業する。1201年、29歳の時、比叡山を下り、六角堂に参籠、師・源空(法然)の導きにより、浄土教に帰依した。1204年、法然が定めた「七箇条制誡」弟子の一人として連署する。1205年、法然は『選択本願念仏集』の書写、法然肖像を描くことを許した。1207年、承元(じょうげん)の法難により、専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)に伴い、35歳で越後に流罪になり、僧籍剥奪される。禿釈親鸞と自称する。1211年、赦免され、1214年、42歳で妻・恵信尼、子らとともに関東での布教を行った。晩年、1235年頃、恵信尼らと別れ、末娘・覚信尼と京都に戻る。1256年、長男・善鸞を義絶した。弟・尋有の善法坊で亡くなったという。浄土真宗の祖。90歳。
 浄土真宗の教義が体系化された6巻からなる『教行信証』(1224)などを著した。この年に立教開宗し、「非僧非俗」を宣言した。罪深い身である者は、阿弥陀仏の本願力を信じ、念仏を唱えることが基本であるとした。絶対他力の自然法爾、悪人こそが本願により救われるという悪人正機を唱えた。
 親鸞は、1262年11月28日(太陽暦1月16日)に善法坊(角坊別院、右京区)で亡くなり、29日に洛陽東山の麓、鳥辺野の南の辺、延仁寺で火葬されたという。30日、鳥部野北辺「大谷」の地に葬られたという。


*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『日本の名僧』 、ウェブサイト「コトバンク」   


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御荼毘所 京都市東山区五条橋6丁目  
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