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超勝寺 (京都市左京区) Chosho-ji Temple |
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超勝寺 | 超勝寺 |
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![]() ![]() 山門 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() |
超勝寺門前町に超勝寺(ちょうしょう-じ)が建つ。山号は独妙山という。 浄土宗西山深草派。本尊は阿弥陀如来。 ◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。 開基は善貞ともいう。 江戸時代、1685年、誓願寺末寺とあり、三条大橋東、北へ上がる現在地付近にあった。(『京羽二重』) 1709年、「京大絵図」にも記されている。 ◆錦光山茂兵衛 江戸時代の陶工・3代錦光山茂兵衛(きんこうざん、?-1755)。詳細不明。男性。名は柳仙、粟田の陶工。孫・宗兵衛(5代? )の墓は茂兵衛の墓の傍にあると記されている。(『坊目誌』) ◆初代・井上八千代 京舞井上流初代・井上八千代(いのうえ-やちよ、1767-1855)。女性。本名は井上サト。京都の生まれ。女性。長州萩の浪人・儒者・井上敬助の妹。天明(1781-1789)、近衛家に仕え、曲舞、白拍子舞を学ぶ。1797年、近衛家を退き、八千代の芸名と近衛菱紋を贈られ定紋として井上流を創始した。主人から贈られた言葉から「八千代」を名乗る。88歳。 ◆二代目・井上八千代 京舞井上流2代目・井上八千代(いのうえ-やちよ、1770-1868)。女性。本名は井上アヤ。京都の生まれ。初代・井上八千代の姪で後に養子になり2代を襲名した。舞に能の金剛流、人形浄瑠璃、歌舞伎の動きを取り入れる。本行舞(ほんぎょうまい)を創始した。98歳。 ◆君尾 江戸時代後期-近代の芸妓・君尾(きみお、1844-1918)。女性。中西きみ。船井郡八木の生まれ。19歳で祇園の置屋「島村屋」に出る。祇園一の美貌を誇り、縄手通のお茶屋「魚品」に出て高杉晋作と懇意になる。長州志士と関係深く、「勤王芸妓」と呼ばれた。1862年、井上馨(聞多)と出会う。1864年、井上が刺客に襲われた際に、君尾が贈った手鏡により命を救われた。南座事件では新撰組に捕らえられそうになる。桂小五郎、品川弥二郎らを逃したとして、壬生の新撰組屯所に捕らえられ拷問を受けるが自白しなかった。言い寄る近藤勇も拒否したという。品川作詞の「トコトンヤレ(トンヤレ)節」を作曲した。品川との間には子・巴があった。75歳。 墓は超勝寺(左京区)にある。 ◆仏像 本尊の阿弥陀如来は安阿弥陀作ともいう。(『浄家寺鑑』) ◆墓 墓地に陶工・錦光山茂兵衛、その孫・宗兵衛、陸田元義(?-1685)、望月珉峩(?-1779)、京舞井上流初代・2代、祇園芸妓・中西君尾などの墓がある。 *非公開 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都市の地名』、『京都大事典』、『祇園と舞妓』、『女たちの京都』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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