佛願寺 (京都市下京区)
Butsugan-ji Temple
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 打越町、渉成園の北に隣接して佛願寺(ぶつがんじ)がある。門前脇に「六條道場」の大きな石標が目を惹く。かつてこの地に河原院があり、その跡地に時宗の善導寺(歓喜光寺の前身)が一時移転し、六条道場と呼ばれていた。
 現在の佛願寺は真宗大谷派。 
◆歴史年表 佛願寺の創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、第52代・嵯峨天皇の12男・源融(822-895)は、別荘の河原院を営んだ。その場所は、北は六条坊門小路(五条通)から南は七条坊門小路(正面通)まで、西は万里小路(までのこうじ、柳馬場通)、東は鴨川までの間にあったという。庭園では難波江よりはるばる運ばれた塩水により塩を焼き、陸奥国塩釜の風情を再現していた。
 895年、融の没後、宇多上皇(第59代)に献上され、仙洞御所として使われる。
 931年、天皇没後、仁康が天台宗の寺、河原院に改めた。その後、祇陀林寺(上京区)に本尊は遷され、廃寺になる。
 鎌倉時代、1291年、聖戒(しょうかい)は石清水八幡宮の南境の善導寺(綴喜郡八幡市)を建立する。一遍が石清水八幡宮で神託を受けたとされ、その縁による。歓喜光寺の前身になる。
 1299年、聖戒に帰依した関白・九条忠教の寄進により、善導寺は河原院(源融左大臣の旧跡、400m四方、現在の渉成園付近)跡地に移される。付近に祀られていた菅原是善(道真父)の旧邸(上京区堀松町)の天満宮、その神宮寺・歓喜光寺を合併する。六条道場河原院歓喜光寺が建立された。聖戒を1世とする。 
 1323年、聖戒没後、一色、瑞光、正道と継承され、歓喜光寺は六条派の拠点になる。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)後、歓喜光寺は高辻烏丸に移転した。
 近代、1920年、歴史学者・仏教史学者・橋川 正は、佛願寺住職の父・恵順没後、住職に就く。
◆橋川正 近代の歴史学者・仏教史学者・橋川正(はしかわ ただす、1894-1931)。仏願寺に生まれる。父は恵順。1917年、真宗大谷大学、京都帝国大学文学部国史学科依託生。歴史学者・三浦周行、国史学者・西田直二郎に師事。1921年、真宗大谷大学学部助教授兼予科教授に就任、1924年、教授。1920年、父没後、仏願寺住職に就く。1929年、アメリカ・ヨーロッパ留学。1931年、元同僚の国史学者・曽我量深(そが りょうじん、1875-1971)仏教思想家・金子大栄(1881- 1976)の著述が異安心(祖師正統説と異なった見解)とされ、抗議して辞職、その後急逝した。享年38歳。
◆合掌の御影 真如堂の本堂中陣に、浄土真宗開祖・親鸞(1173- 1263)自作という、木像「合掌の御影」が安置されている。親鸞は真如堂に参籠している。木像は一時、仏願寺に遷され、1945年頃に再び戻されたという。 
 

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』


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 佛願寺 〒600-8151 京都市下京区打越町313,間之町通上珠数屋町下る   075-371-3401
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