慰称寺 (京都市右京区)
Isho-ji Temple
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参道、登り坂




本堂
 高尾、周山街道(国道162号線)の御経坂峠付近より、谷に下りる細い道が続く。杉の大木の根元近くに、慰称寺(いしょうじ)の参道が付いている。
 かつて慰樵庵(いしょうあん)、また、中島の地蔵堂とも呼ばれた。山号は、蓮華山という。 
 浄土宗知恩院派の末寺、本尊は地蔵菩薩を安置する。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、筑後・善導寺の慰樵上人が、善導の画像を得てその夢告により、この地(山城国高尾梅畠、梅畑)に開いたという。(『山州名跡志』)
◆慰樵 安土・桃山時代の浄土宗の僧・慰樵(いしょう、生没年不詳)。詳細不明。筑後・善導寺の初代、天正年間(1573-1592)、慰樵庵(慰称寺)を開基したという。
◆伝承 開基についての伝承がある。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、筑後の善導寺初代の慰樵上人が、阿弥陀仏の霊像を得ようとして、中国唐代の浄土宗の僧・善導(613‐681)の像を買い入れた。
 ある夜、その像の夢告があり、「梅畠」に誘引せよという。それが三晩続いた。慰樵は奇異に感じ、梅畠について調べると、山城国高尾に同名の地があることがわかった。慰樵は像を自ら背負い、行脚しながらこの地まで辿り着く。
 奇遇にも、この地のある家に、平安時代-鎌倉時代の僧・法然(1133-1212)の自画像が残されていた。法然は善導の『観経疏』により、称名念仏による専修念仏を説いたとされる。法然が月輪禅定の帰依について、月輪(月輪寺)に行き来した際に、この家で休憩したという。家の主人が法然を崇敬し遺像を請うと、法然がやむにやまれず書したものという。
 慰樵は法然の像を拝し、村の皆を招いて、両像を安置するとすれば、その功徳無量とした。このため村民は慰樵に帰依して寺を建立し、以後、慰樵庵と号したという。(『山州名跡志』)
◆画像 絹本著色の「法然上人像」は、室町時代作になる。藁草履(足長)を履いており、「足長の御影」と呼ばれる。鎌倉時代、1193年、法然は愛宕山の月輪寺に参詣した。中島村で一老婆を教化し、自筆の影像を与えたものという。
 「善導像」がある。
◆地蔵 地蔵堂(中島地蔵堂、光堂、収蔵庫)に、平安時代作の「地蔵菩薩立像」(重文)が安置されている。「子安延命地蔵」と呼ばれている。広隆寺に安置されている平安時代作(鎌倉時代作とも)の「地蔵菩薩立像(埋木<うもれぎ>地蔵)」(重文)の模刻といわれる。
 片肌を脱いだ地蔵尊であり、このようなものは例が少なく、日本にはこの2体しかないという。地蔵尊は、右手は下げた与願印、左手は宝珠を載せ、右肩を脱ぐ。一木彫、像高91cm。
◆年間行事 地蔵尊の開帳(8月23日に近い日曜日頃)。


*年間行事・は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『新版 京のお地蔵さん』『京都市の地名』『昭和京都名所図会 4 洛西』



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杉の巨木のご神木

境内からの谷里の眺望

「国宝 子安延命地蔵尊」の石標が立つ。

地蔵堂、周山街道の御所ノ口のバス停よりすぐの集会所裏手にある。

地蔵堂

石仏群
慰称寺 〒616-8285 京都市右京区梅ヶ畑檜社町4  075-871-8734

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