玉樹寺 (京都市下京区)
Gyokuju-ji Temple
玉樹寺  玉樹寺
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 中堂寺西寺町に南面して玉樹寺(ぎょくじゅじ)がある。右門脇に「産科鼻祖 賀川玄悦先生之墓所」の石標が立てられている。 
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 平安時代、この地には大寺院の中堂寺があった。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失する。
 安土・桃山時代、豊臣秀吉が寺院を集め西寺町を作らせた。この頃、清厳が玉樹寺を建立した。
 江戸時代、1788年、天明の大火により焼失した。その後、当寺東、一貫町(いっかんまち)の医師・賀川子全(玄悦)が宮家の援助により再建する。
 現代、1977年、賀川玄悦没後200年に際して賀川玄悦顕彰碑が立てられた。
 1978年、俳人・水原秋桜子の句碑が立てられた。
◆賀川玄悦 江戸時代の医師・賀川玄悦(かがわ げんえつ、1700-1777)。近江国彦根生まれ。父・三浦長高は槍術の達人であり彦根藩に仕えた。庶子の玄悦は7歳で、母の実家、農家・賀川姓を名のる。鍼灸・按摩を学び、30歳で京都の一貫町(下松屋町通)で古鉄銅器商、鍼灸・按摩を営み古医方を学ぶ。産科手術の最初は、隣家の妊産婦の死胎児を秤の鈎で牽引し、母体の命を救った。(回生法)。1750年頃、「正常胎位」(「上臀下首」)を発見した。旧来は子宮内の胎児の姿勢は頭が上、臀部が下であり、陣通時に頭が下に一回転して生まれる考えられていた。玄悦は臨床経験により、妊娠中期よりすでに胎児の頭が下になるとした。1754年、英国の産科医・ウイリアム・スメリー(1697-1763)も同様に発見している。玄悦は、1768年、徳島藩医に取り立てられた。11種の治術を発見、創案した。1765年、『産論』4巻を著す。玉樹寺に葬られた。
◆賀川玄迪 江戸時代中期の医師・賀川玄迪(かがわ げんてき、1739-1779) 。出羽生まれ。子啓、号は有斎。父は医師・岡本玄適。20歳の時、京都で賀川玄悦に学ぶ。賀川家の養子となり徳島藩の藩医となる。1775年、玄悦の『子玄子産論』を増補し『産論翼』2巻を著した。玉樹寺に葬られた。
◆水原秋桜子 近現代の俳人・産科医師・水原秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892-1981)。水原豊。東京の産婦人科医の家に生まれる。第一高等学校、1918年、東京帝国大学医学部卒業。1924年、水原病院長。1929年-1941年、昭和医学専門学校の初代産婦人科学教授。宮内省侍医寮御用係として皇族の子供を取り上げた。
 俳人・緒方春桐、松根東洋城、高浜虚子に師事、『ホトトギス』に参加。1922年、富安風生、山口青邨らと東大俳句会を再興。後に虚子、素十と対立した。1952年以降、俳句に専念した。1962年、俳人協会会長に就任。
◆賀川流 1823年、来日していたドイツ人医師・博物学者・シーボルト(1796- 1866)は、医師・美馬順三(1795-1825)の蘭文『日本産科問答』により、玄悦、玄迪の賀川流産科を知る。シーボルトは、1825年以降、ドイツ、フランスなどの医学会誌に賀川流産科を紹介した。
 1779年、玄迪の没後、甥・子全が養子となり家を継いだ。以後、歴代も一貫町(下京区下松屋町通松原下ル)に住した。産科とともに、私塾「済生館」で門弟を養成し、その数は1000人にのぼる。近代、1869年、8代・玄道は阿波藩の藩命により一貫町より徳島に移った。
◆句碑 境内本堂前に俳人・水原秋桜子の句碑「産諭の月光雲をはらひけり」が立てられている。
 秋桜子と東大産婦人科医局でともに学んだ丸山正の主唱により、1978年に玄悦の没後200年を記念し、玄悦の顕彰碑近くに建立された。石は、玄悦の故郷、彦根近く愛知川の青石を用いている。
◆墓 初代・賀川子玄(玄悦)、2代・子啓(玄迪)、3代・子全(玄悦)の賀川家三代、初代・玄悦の先妻・のぶ、賀川家4代・子永(玄迪)、5代・子修(玄岱)、6代・子徳(玄迪)、7代・子成(玄純)の墓がある。
◆賀川玄悦顕彰碑文 前庭に賀川玄悦顕彰碑がある。1977年、玄悦没後200年を記念して立てられた。碑文(撰・宗田一)には次のようにある。

 日本近代産科学のみなもと
ここ玉樹寺のひがし一貫町に 十八世紀の名医 賀川玄悦(字は子玄、一七〇〇~一七七七)が住んでいた/玄悦は あらゆる権威にとらわれず 自分の目でたしかめる実証精神から それまで信じられていた 母体のなかの胎児の位置が誤っていることを知り その正しい位置(上臀下首)を はじめて発見した またあふれるばかりのヒューマニティから 難産で苦しむ母体を救う方法を発明した/これらは日本医学が 世界に誇る業績の一つである/賀川一門は 各地で多くの名医を生み 母子ともに安全に救う方法を完成して日本の産科学の発展に 大きく貢献した/玄悦の没後二百年にあたり 墓域の修復をおこなう とともに 賀川一門の偉業をたたえるため ここに碑をたてて記念する
 一九七七年九月十四日
     賀川玄悦先生没後二百年記念顕彰会

裏面/賀川玄悦先生没後二百年記念顕彰会/京都産婦人科医会/近畿産科婦人科学会/日本産科婦人科学会/日本母性保護医協会/日本医師会/日本医史学会/京都府医師会/徳島県医師会


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『増補版 京の医史跡探訪』『京都市の地名』


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