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中堂寺 (京都市上京区)
Chudo-ji Temple
中堂寺  中堂寺
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 中堂寺西町の中堂寺(ちゅうどうじ)は、山号を真如山という。 
 浄土宗西山禅林寺派。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、比叡山延暦寺、横川中堂別院として創建されたという。(「寺伝」)
 1015年?、天台宗の僧・円仁(794-864)により創建されたともいう。(『京都府地誌』『拾遺都名所図会』)
 中世(鎌倉時代-室町時代)、詳細は不明。
 室町時代、1417年、中道寺(中堂寺)の名がある。(『康富記』)
 室町時代、1558年、武将・松永弾正は中堂寺(地名か寺号かは不明)などに陣を敷く。(『長亨年後畿内兵乱記』)
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1593)、堀川高辻東より現在地に移る。2度の移転(薮の内町・以西、高辻堀川東)の後、現在地(旧地の西)に移されたという。(『坊目誌』)。また、古の中道寺(中堂寺)とは、慈雲寺(薮之内町、現在は下京区)のことであるともいう。(『山州名跡志』)。また、当初は高辻南堀川東にあり、その後、中堂寺村に戻ったともいう。(『山城名勝志』)
 江戸時代、1705年、中堂寺の名の初見という。(『洛中洛外図会』)
◆畑黄山 江戸時代中期-後期の医師・畑黄山(はた こうざん、1721-1804)。尚薬法印。京都生まれ。畑柳景の養子。古医方を修め第117代・後桜町天皇の侍医、法印にすすむ。1782年近衛町(上京区、現在の京都YWCA青少年センターの地)に私財を投じ、医学院を建て医学教育を行う。六教孔子、医学7科の講義が行われた。1788年に焼失し、再建されなかった。著作に「斥医断」「医学院学範」など。門弟は2000余人。墓は中堂寺にある。
◆文化財 「孔雀文磐(ふみばん)」(府文化財)がある。
◆中堂寺村 中堂寺村(下京区中堂寺)の地名は、中古にあったという中堂寺の寺名に依拠しているという。室町時代、1573年のルイス・フロイスの書簡に、織田信長により焼かれた村の一つとして中堂寺村の名がある。江戸時代にはまだ、御土居が村を二分していたという。
 中堂寺六斎念仏は、江戸時代、元禄年間(1688-1704)に村に取り入れられた。当地では風流化を特徴とした。1953年に京都市の無形文化財の指定された。現在、六波羅蜜寺(2月)、壬生寺・竹林禅寺(8月)などに奉納されている。
◆墓 畑黄山、その養子・畑恒山(柳啓)の墓がある。
茎大根 中堂寺村は、右京の衰退に伴い、古くより農村地帯として都への野菜供給地になった。蚕豆、慈姑、芋、水菜、特に漬け物用の茎大根(中堂寺大根)が知られた。
 江戸時代、中堂寺付近で茎大根(くきだいこん)が栽培され、「中堂寺大根」(30cm)と呼ばれた。その後、松ヶ崎に移される。葉、茎も風味がよい。漬物に用いられ、茎葉ともに漬け込んだ。現在は、「京の伝統野菜」として種子保存されている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都市の地名』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 上』『増補版 京の医史跡探訪』『京の伝統野菜』


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中堂寺 〒600-8801 京都市下京区中堂寺西寺町25    
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