珠城神社 (久御山町) 
Tamaki-jinja Shrine
珠城神社 珠城神社 
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拝殿




拝殿、山王鳥居



拝殿、山王鳥居
 久御山町市田に珠城神社(たまき じんじゃ)はある。 
 祭神は、第11代・垂仁天皇、和気清麻呂。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 弥生時代、第11代・垂仁天皇(BC69-AD70)の時、市田には宮城(珠城宮<たまきのみや>)が置かれたとされる。(「市田珠城神社護法神社並神宮寺巻」)。ただ、垂仁天皇の都・珠城宮は奈良の纒向珠城宮(まきむく の たまきのみや)に比定されている。(「日本書紀」)
 A.D70、垂仁天皇没後、その霊を山背大筒城真若王(開化天皇皇子日坐王の子)がこの地に祀り、当社の始まりとされた。珠城宮に因み、社号を珠城神社としたという。
 平安時代、799年、官僚・和気清麻呂が死去し、勅使・藤原葛野麿は護法神社として祀り、神殿を創建したという。社殿は、珠城神社に並べて建てられたという。
 後、僧・行賀は、神宮寺として護王寺(ごおうじ)を建てた。本尊・薬師仏を安置したという。(
 1180年、当社、神宮寺・護法寺は兵火により焼失した。
 1185年、源頼朝によって再建された。
 室町時代、1573年、宇治・槇島の兵火により焼失する。
 江戸時代、当社の祭神は久御山・雙栗神社に遷され預けられた。
 1719年、市田村氏子は神輿造営し、雙栗神社での神事に加わる。
 近代、1879年、当社祭神は雙栗神社に正式に合祀される。
 1883年、雙栗神社の祭神として当社二神の名がある。(「久世郡神社明細帳」)
 現代、1967年、当社が再建され、雙栗神社より祭神が遷座された。
◆垂仁天皇 弥生時代の第11代 ・垂仁天皇(すいにん てんのう、BC29-AD70)。活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと)、活目尊。第10代・崇神天皇、御間城姫命(みまきひめのみこと)の第3皇子。皇后は狭穂姫命、日葉酢媛命(丹波道主王の女)。都は纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)とされる。師木玉垣宮(しきのたまかきのみや)(『古事記』)とあり、現在の奈良県桜井市穴師周辺に比定されている。伝承として久御山町市田も宮城跡とされている。
◆和気清麻呂 奈良時代末期-平安時代初期の官僚・和気清麻呂(わけ の きよまろ、733-799)。備前国に生まれた。父は乎麻呂。姉は広虫(法均尼)、子は広世、真綱、仲世など。女帝・称徳天皇の寵愛を受け、右兵衛少尉、764年藤原仲麻呂の乱の功により勲6等を授けられた。766年従五位下、近衛将監。769年皇位に就こうと画策した道鏡による宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)で、広虫の代わりに宇佐に派遣され、画策を阻止した。だが、称徳天皇により大隅国に配流された。770年光仁天皇即位に伴い召還される。桓武天皇により、783年摂津職の長官に任じられる。784年長岡京遷都にも関わる。788年中宮大夫、民部大輔も兼ね、美作・備前国国造。794年平安京遷都を桓武天皇に上奏した。796年頃平安京造宮大夫、799年従三位民部卿兼造宮大夫。「民部省例(20巻)」を選修した。
◆山背大筒城真若王 山背大筒城真若王(生没年不詳)。9代・開化天皇(BC157-BC98)皇子・日坐王の子。
◆建築 本殿は春日造、拝殿は切妻造、拝殿入口は、山王鳥居を建物に組み込む形を取る。
◆摂社 摂社として、皇大神宮、稲荷神社が祀られている。
◆市田 久御山町市田は、旧巨椋池の南に位置しており、津(港)が開かれた。古代の土地区画、条里制の名残りとして、現在も地名に「一ノ坪」などがある。伝承としてこの地には、和気氏の領地があり、和気清麻呂との関わりも深いという。
◆年間行事 例祭(10月8日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都市の地名』『鳥居』

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本殿

本殿、拝殿

摂社

皇大神宮

稲荷神社

珠城神社 〒613-0022 久世郡久御山町大字市田小字珠城2-1  
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