大興寺 (京都市左京区)
Daiko-ji Temple
大興寺 大興寺 
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山門


「しばのやくし」の石標


「松本愚山先生墓」の石標



モクレン
 大興寺(だいこうじ)は、芝薬師(しばのやくし)、芝薬師堂(しばやくしどう)とも呼ばれている。仏師・運慶作という薬師如来坐像で知られる。応仁・文明の乱ゆかり地の一つになる。山号は霊芝山という。
 臨済宗東福寺派、本尊は薬師如来。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 鎌倉時代、1196年/建久年間(1190-1198)、後鳥羽上皇(第82代)が勅願により創建した。女人禁制の比叡山延暦寺に代わり、薬師詣の宮中女人の便のために、四町四方の堂舎を上立売堀川西(上京区芝薬師町)に建立した。天皇は仏師・運慶に命じ、延暦寺根本中堂の薬師仏坐像を模刻させ安置した。仏殿、法塔、僧堂、山門、鐘楼、方丈などがあった。(『山城名勝志』『山州名跡志』)。女人中堂とも呼ばれ、宮中、庶民の信仰を集める。当初は天台宗だった。
 1197年、鎮護国家の祈願寺として、後鳥羽上皇の勅願寺になる。その後、衰微する。
 南北朝時代、貞和年間(1345-1350)、足利尊氏は、元の関羽将軍像を得て、当寺の傍らに安置したという。荘園も寄進した。東福寺僧の潭月寂澄が中興し、天台宗より臨済宗の禅刹に改める。
 第101代・称光天皇(在位:1412-1428)の行幸がある。
 室町時代、1469年、応仁・文明の乱(1467-1477)で、山名宗全の本陣が敷かれる。東軍・細川方の安富又次郎、西岡(にしのおか)の侍が宗全の陣所近くまで攻め込み、堂宇は焼失したという。以後、荒廃した。
 安土・桃山時代、1573年、織田信長の上京焼討に際して焼失した。(『日本史』)
 1581年/天正年間(1573-1592)、京極今出川に移転し、東福門院の帰依を得た。また、第107代・後陽成天皇が京極今出川に造営したという。
 安土・桃山時代-江戸時代、豊臣秀吉、徳川代々の朱印を受ける。
 江戸時代、1672年、再興される。
 1675年、焼失した。
 1677年、第108代・後水尾上皇により再興される。
 1692年、京極大火により類焼した。
 1693年、幕命により、寺町今出川より現在地の浄土寺村の神楽岡東北の菩提樹院旧跡に移る。(『山州名跡志』)。周辺の真如堂、迎称寺、極楽寺、東北院もこの時に移った。
◆後鳥羽天皇 平安時代-鎌倉時代前期の第82代・後鳥羽天皇(ごとば-てんのう、1180-1239)。京都生まれ。尊成 (たかひら) 。諡号は顕徳院、後に後鳥羽院。第80代・高倉天皇の第4皇子。母は准后七条院藤原殖子 (やすこ/しょくし、坊門信隆の娘) 。1183年、平氏は、第81代・安徳天皇(後鳥羽天皇の兄)、第2皇子・守貞(もりさだ)親王を伴い都落ちする。都には天皇不在になり、祖父・後白河法皇(第77代)の詔により、神器がないままに尊成親王が4歳で践祚(せんそ、皇嗣が天皇の地位を受け継ぐ)した。一時、天皇が2人存在する事態になる。1184年、即位の式を挙げた。1190年、元服する。1192年、院政を敷いた後白河法皇の没後、4歳の後鳥羽天皇の親政になる。実権は関白・九条兼実、1196年、その失脚後は源(土御門)通親が握った。(建久七年の変)。1198年、幕府の反対を押し切り、皇子・為仁親王(第83代・土御門天皇)に譲位し院政を始める。以後、第84代・順徳天皇(土御門の弟)、第85代・仲恭天皇(順徳の子)と3天皇に23年に渡り院政を敷いた。1199年、上皇により九条良経が左大臣に任命され、九条家が復帰した。1202年、通親の没後は、強権的になる。1219年、鎌倉幕府3代将軍・源実朝の暗殺後、幕府は後継将軍として上皇皇子を要請する。上皇は拒絶し、幕府からの政権奪取を目指し、畿内、近国の兵を集める。1221年、執権・北条義時追討の宣旨を出して挙兵し、承久の乱になる。幕府が上洛させた北条泰時らの大軍に上皇方は敗れる。鳥羽殿に幽閉され、出家し良然(金剛理とも)と称した。幕府は平氏に育てられ即位していない、兄・後高倉院に院政を執らせた。仲恭天皇は退位し、1221年、第86代・後堀河天皇(後高倉院の子)を即位させる。幕府は後鳥羽、土御門、順徳の3上皇を配流した。後鳥羽上皇は隠岐に流される。1235年、遷京の動きは幕府により拒否された。1239年、隠岐での18年の生活の後に同地苅田で没した。
 第83代・土御門天皇、第84代・順徳天皇、第85代・仲恭天皇の3天皇に院政を敷いた。西面の武士を新設する。白河に最勝四天王院を建て、水無瀬、鳥羽、宇治などに院御所を営んだ。1198年以来、熊野詣は28回に及ぶ。芸能(蹴鞠、琵琶、笛)、武技(流鏑馬、犬追物、相撲、水泳)、刀剣鍛造も行った。和歌にも長じ、1201年、和歌所を設ける。千五百番歌合は名高い。藤原定家らに『新古今和歌集』(1205)を勅撰させた。日記に『後鳥羽天皇宸記』がある。
 上皇の死の前後に、1234年、第85代・仲恭天皇、第86代・後堀川天皇、1240年、北条時房、1242年、北条泰時らが相次いで亡くなる。無念の死を遂げた上皇の怨霊による仕業と怖れられた。上皇の当初の諡号は顕徳院であり、祟りを怖れ、後鳥羽院に改められた。
 火葬塚は、島根県隠岐郡海士町にある。1658年、松江藩主・松平直政が修理した。遺骨は大原陵(左京区)に葬られる。
◆春華門院 平安時代-鎌倉時代前期の皇女・春華門院(しゅんか-もんいん、1195-1211)。名は昇子(しょうし)。第82代・後鳥羽天皇の第1皇女。母は九条兼実の娘・宜秋門院任子。1195年、内親王、1196年、一品、准三宮。同年、兼実は政変により失脚し、母・任子も御所を去る。八条院の猶子として養育された。1208年、第84代・順徳天皇の准母として皇后宮になり、1209年、院号を受けた。1211年、八条院没後に遺領を相続するが、院領は後鳥羽上皇の管領になる。
 父・後鳥羽天皇の寵愛を受けた。比類ない美しさだったという。養育係・健御前(けんごぜん)が日記『たまきはる』に記した。17歳。
◆潭月寂澄 南北朝時代の臨済宗の僧・潭月寂澄(たんげつ-じゃくちょう、?-?)。詳細不明。東福寺の聖一国師の法孫。大興寺の中興の祖になる。
◆松本愚山 江戸時代中期-後期の儒者・松本愚山(まつもと-ぐざん、1755-1834)。名は慎、字は君厚、幼憲、通称を才次(郎)。京都生まれ。儒者・皆川淇園に漢学を学ぶ。大坂で講説した。著『愚山文稿』『藻語箋』など。80歳。
 墓は大興寺(左京区)にある。
◆仏像・木像 ◈本堂に安置の本尊「木造薬師如来坐像」は、普段は厨子内に納められている。正式には薬師瑠璃光如来という。後鳥羽天皇皇女・昇子内親王の追福のために、比叡山延暦寺根本中堂の本尊を写したという。江戸時代には、旧地に因み「芝薬師」と称され、「名薬師」の一つになっていた。
 顔は柔和であり、衣、袈裟に鳳凰の浮文様が施されている。左手の掌に薬瓶を載せ、右手は施無畏印を結ぶ。光背に火焔の透し彫り、周囲に七仏薬師、神話的な鳥とされる迦陵頻迦(かりょうびんが)を配する。像高4尺(1.2m)。
 ◈本尊の両脇に「四天王像」が安置され、普段は御前立仏が立つ。
 ◈「十二神将像」は鎌倉時代の仏師・運慶(?-1224)の作といわれる。それぞれが岩座に立つ。体中に経文が書かれているという。2010年、12体のうちの2体、巳神将、午神将の解体修理が行われた。少なくともこの2体の仏師は院ようであり、鎌倉時代、1316年に開眼供養が行われていたことが判明した。
 ◈「関帝聖君像(関羽像)」は、中国・北宋(960-1127)より貿易船で伝来したとされ、日本最古という。また、尊氏が元より取り寄せ、戦場での守護神にしていたともいう。
 玉座に坐し、両手を膝上に載せ構える。服に朱の彩色が残る。尊氏は一宇に像を安置しという。かつては関帝廟に祀られていたともみられている。中国では商業、財力の神であり、商売の神として華僑に崇拝されている。また、当初は武神として崇敬され、寺院守護の伽藍神としても信仰された。作者、年代ともに不詳。「関帝」の扁額があり、「南宋武幹謹書」と刻まれているという。像高8寸(24.2㎝)。彩色木像、玉眼入。
 ◈脇士は関羽の子の「関平立像」と「関興(周倉)立像」による。彩色木像、玉眼嵌入。
◆建築 現在は、山門、本堂のみが建つ。
◆文化財 平安時代末期-鎌倉時代初期の第82代・後鳥羽天皇(1180-1239寄進の仏舎利がある。
 鎌倉時代後期-南北朝時代の武将・室町幕府の初代征夷大将軍・足利尊氏(1305-1358)の教書、鎌倉時代後期-南北朝時代の武将・高師直(?-1351、こう の もろなお)の状がある。
◆寺号 鎌倉時代、1196年に創建された大興寺の寺号は、奈良・東大寺の「大」と興福寺の「興」を採り「大興寺」にされたともいう。
 1236年、九条道家により創建された東福寺も、東大寺と興福寺より一字ずつ採られ「東福寺」とされた。これは、「大」と「興」が既に大興寺により使用されていたためともいう。
◆寄進・帰依者 寄進、帰依者に鎌倉時代の第82代・後鳥羽天皇の第1皇女・春華門院(昇子内親王、1195-1211)、鎌倉時代-南北朝時代の第88代・後嵯峨天皇第2皇女・延政門院(清浄智、1259-1332)、鎌倉時代-南北朝時代の武将・足利尊氏(1305-1358)、鎌倉時代-南北朝時代の尊氏の母・法心比丘尼(上杉清子、1270? -1343)、室町時代-安土・桃山時代の武将・豊臣秀吉(1536-1598)、江戸時代の第108代・後水尾天皇中宮・東福門院(徳川和子、1607-1678)、徳川家代々などがある。
◆墓 江戸時代の儒者・松本愚山の墓がある。


*境内、建物内の撮影禁止
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』「霊芝山大興禅寺」『拝観の手引』 、ウェブサイト「コトバンク」


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