真敬寺 (京都上京区)
Shinkyo-ji Temple
真敬寺 真敬寺 
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「徳川五代将軍綱吉公御生母 桂昌院殿御生家菩提寺」の石標 




 元福大明神町(もとふくだいみょうじん)に真敬寺(しんきょうじ)がある。山号は感応山という。門脇に「徳川五代将軍綱吉公御生母 桂昌院殿御生家菩提寺」の石標が立てられている。 
 真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 江戸時代、1615年、僧・勝賢により創建された。東本願寺の洛中道場の一つになる。(『京羽二重』)
 1788年、焼失した。その後、再建される。(『翁草』)
◆桂昌院 江戸時代前期の3代将軍・徳川家光の側室・桂昌院(けいしょういん、1627-1705)。おたつ、おあき、お玉、宗子、光子など。大徳寺付近で生まれた。堀川通西藪屋町の八百屋・仁左右衛門の次女ともいう。父没後、母・鍋田氏は二条家の家司(けいし)・本庄太郎兵衛に嫁した。本庄氏の養女になる。伊勢内宮・慶光院住持(六条有純の娘・お梅)付女中になり、江戸下向に同行する。1639年、3代将軍・徳川家光側室・お万の方に仕える。春日局の部屋子として家光に見初められ側室になる。1646年、徳松(綱吉)を産む。1651年、家光没後に落飾し、筑波山知足院に入る。桂昌院と称された。1680年、5代将軍に綱吉が就くと、江戸城三の丸へ入った。三丸殿と称された。1702年、女性最高位の従一位の官位、藤原光子(宗子)の名を賜る。神仏を尊崇し、仏教に帰依した。僧・亮賢、隆光を信頼し、江戸に護国寺・護持院を建立する。生類憐み令を発案したともいう。諸国の寺社再興を援助した。墓は善峯寺(西京区)にもある。79歳。
 生家は真敬寺近くにあった。当寺は、本庄家の香華院という。
◆文化財 桂昌院の寄付物がある。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都市の地名』、『京都大事典』、『京都歴史案内』 、ウェブサイト「コトバンク」


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真敬寺 〒602-8233 京都市上京区元福大明神町297,葭屋町下立売北入ル西側  075-841-9437
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