西方寺 (京田辺市)
Saiho-ji Temple
西方寺 西方寺 
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本堂



本堂、扁額「袋中山」



【参照】飯岡車塚古墳
 木津川の西、飯塚(いのおか)丘陵地(飯塚山、67m)の頂に西方寺(さいほうじ)がある。山城善光寺とも呼ばれる。山号は袋中山という。 
 浄土宗、金戒光明寺の末寺。本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 江戸時代、1637年、袋中は瓶原(みかのはら)より木津川を下り飯岡に移る。帰依した奥林三郎兵衛が寺庵を建立し、袋中が開山に迎えられた。
 1638年、袋中は、飯岡頂部の東の峰(薬師山古墳)に石造薬師如来・薬師経、南の峰(ゴロゴロ山古墳)に石造釈迦如来・法華寿量品、西の峰(弥陀山古墳)に石造阿弥陀如来・阿弥陀経を安置、埋葬した。
 1639年、袋中は当寺で没した。
◆袋中
 室町時代-江戸時代の浄土宗の僧・袋中(たいちゅう、1552-1639)。良定 (りょうじょう)、弁蓮社入観。磐城国に生まれた。父は佐藤定衡。14歳で陸奥・能満寺の存洞により出家、如来寺、専称寺、円通寺・名越檀林で浄土教学を学んだ。1577年、江戸・増上寺で浄土宗白旗派に学び、1581年、故郷の成徳寺13世。1599年、平城主・岩城貞隆の帰依により城内に称名道場を開く。1603年、入明を試み上陸を許されず、琉球に漂着した。琉球・尚寧王の帰依を得て、城外に桂林寺を開く。1606年、京都・檀王法林寺を再興、1619年、氷室谷、東山五条(菊ヶ谷)に袋中菴を建立した。奈良・念仏寺など20余寺を建立したという。1637年、京都・南山城の西方寺に移り、ここで亡くなる。『琉球神道記』『琉球往生』などを著した。
◆仏像・木像 本尊の阿弥陀如来坐像、観音・勢至菩薩。
 厨子内の弥陀三尊仏(蓮池如来)、立像、金銅製。袋中上人坐像。
◆建築 本堂は入母屋造、単層、瓦葺。
◆文化財 袋中の関係資料が多数ある。
 「飯岡西方寺開山記」(縦87.33㎝×横30.3㎝)は、江戸時代、1666年の奥書を持つ。袋中弟子・東輝(念仏寺住持)が著した。創建の経緯などを記した伝記になる。
 「袋中筆六字名号」(縦87.3㎝×横33.5㎝)は、江戸時代作。袋中筆「花瓶上阿弥陀図」。ほかに袋中の署名、花押がある。
 江戸時代、1700年銘の「西方寺開山袋中良定上人略縁起」1巻。江戸時代、1700年銘の「山城国飯岡村西方寺蓮池如来縁起」1巻。
 江戸時代、1639年鋳造、袋中施主、鋳師・洛陽三条釜座・西村治兵衛家次銘の銅鐘は、戦時供出により失われた。
◆墓 山門左に袋中の墓塔がある。
◆飯岡車塚古墳 境内周辺に古墳時代の遺跡が複数存在する。境内の南、丘陵地の斜面に飯岡車塚古墳がある。古墳時代、4世紀後半の市内最大の前方後円墳(全長90m、後円部直径60m)になる。古墳の表面は葺石で覆われ、竪穴式石室がある。古墳の周囲は埴輪が取り込む。勾玉、管筒、小玉、車輪石、刀剣破片などが出土した。銅鏡は後世の盗掘で失われたとみられている。息長(おきなが)一族の前身・奥津城との関連も指摘されている。
 ほかに、第26代・継体天皇に関係のある各時代の古墳時代中期の薬師山古墳、ゴロゴロ山古墳、弥生山古墳、トヅカ古墳(「神人車馬画像鏡」など出土)、古墳時代後期の飯岡東原古墳、飯岡横穴などがある。
◆七井戸 かつて飯岡の丘陵地に「七井戸(飯岡七水)」があったという。三宅安兵衛により、1926-1927年にそれぞれ碑が立てられている。
◆年間行事 袋中上人入寂忌(1月21日)、法然上人御忌会(1月25日)、涅槃会(2月15日)、鎮西忌(2月29日)、春彼岸会(3月彼岸)、宗祖降誕会(4月7日)、潅仏会(4月8日)、盂蘭盆会(8月7日-20日)、袋中上人開山忌(8月20日)、秋彼岸会(9月彼岸)、豊田翁忌(9月26日)、十夜会(11月13日)、成道会(12月8日)、仏名会(12月20日)。


*非公開
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 「特別展 南山城の寺社縁起」、『京田辺市』、京田辺市教育委員会・京田辺市文化財保護委員会の説明板、『京都の地名検証』


  関連・周辺咋岡(くいおか)神社(京田辺市)        周辺      関連袋中菴      関連壇王法林寺        

【参照】飯岡車塚古墳
 西方寺 〒610-0312 京田辺市飯岡西原27    0774-62-0386
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