両替町・銀座 (京都市伏見区)
Ryogaecho,Ginza
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「此付近 両替商旧跡」の石標


石標に刻まれている「茨木屋 山本家」


山本家


山本家


両替町の町名板
 伏見区の両替町(りょうがえちょう)通の一角に、「此付近両替商旧跡」の石標が立てられている。かつてこの一帯には、銀座が置かれた。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1592年以前、伏見城開城以前、現在の両替町1丁目付近には、厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子、574-622)伝授という柿木浜(かきのきはま)地蔵堂があったという。
 安土・桃山時代、1601年、徳川家康(1542-1616)は、現在の両替町5丁目付近に、幕府御用達商人筆頭・後藤庄三郎、大坂の豪商・末吉勘兵衛(1526‐1607)を招き、日本初の銀座(伏見銀座)を開いた。両替町5丁目を銀座1丁目とし、銀座4丁目までに銀座、御屋敷店舗、改役所などが置かれた。また、付近には会所、座人、常是屋敷もあった。(「貨幣秘録」)。銀座は、現在の両替町5丁目-8丁目付近にあたる。
 江戸時代、1608年、銀座はわずか7年で京都両替町(三条-四条)に移される。伏見銀座の地には両替商があり、以来、両替町、両替通の町名、通り名になる。伏見銀座の旧地(両替町5丁目-8丁目)には、銀座1丁目-4丁目の呼称も生まれた。
 1611年、新町よりの出火で両替町も類焼した。(『当代記』)
 安永年間(1772-1780)、両替銀座仲間が免許された。
 天保期(1830-1844)、付近には両替屋51軒があった。
 現代、1997年、茨木屋山本家により現在の石標が立てられている。
◆銀座 「銀座(ぎんざ)」は、江戸幕府の銀貨(丁銀・小玉銀)の鋳造所であり、初の品位一定化を目的とした。
 銀座は、安土・桃山時代、1601年、徳川家康の命により伏見両替町で始まる。銀座は現在の両替町5丁目-8丁目付近にあった。両替町5丁目を銀座1丁目とし、4丁目までに銀座、御屋敷店舗、改役所が置かれた。慶長丁銀、小粒、豆板銀が鋳造されていた。
 銀座は、幕府御用達商人筆頭・後藤庄三郎、大坂平野の豪商・末吉勘兵衛(すえよし かんべえ、1526‐1607)らにより担われた。豪商・淀屋次郎右衛門ら10人の頭役があった。吹き手は、堺よりの世襲頭役・大黒常是(だいこく じょうぜ)であり、極印、包封を行っていた。
 江戸時代、1608年、銀座は京都の両替町に移される。1612年、駿河に移された。1800年、寛政の改革以後、京都での銀貨幣の鋳造は行われなかった。銀道具・銀箔材料としての南鐐(なんりょう、ニ朱銀)の売り渡しを行った。近代、1868年に京都の銀座は廃止されている。
◆両替町・銀座 伏見の両替町の地名は、江戸時代、1608年、銀座が京都両替町(三条-四条)に移された後も、通りに両替商が多くあったことから、両替町通の通り名になる。1丁目-15丁目があり、銀座は5丁目-8丁目に置かれた。京都に銀座移転後も、伏見銀座の旧地は、銀座1丁目-4丁目と呼び慣わされ、通り名は両替通と呼んだという。1868年、両替町8丁目は銀座4丁目に改められている。
 両替商は、貨幣間の両替、有価証券、物品を貨幣と交換した。さらに、貸付、預かりの業務も行っていた。
 両替町の地名は、現在も京都、静岡、名古屋、大阪に残る。伏見に学んだ商人が帰郷し、これらの町を開いたためという。
◆茨木屋山本家 山本家は、屋号「茨木屋」で代々に渡り両替商を営んだという。当主は儀兵衛、長兵衛を名乗っていた。
◆伊良子道顕・道牛 伊良子道顕(いらこどうけん)、道牛(どうぎゅう)父子は、伏見の両替町付近で外科医を開業していたという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明板、『京都の地名検証』『京都市の地名』


   関連・周辺      周辺      関連二条殿跡・二条新御所跡・金座跡・銀座跡       

銀座町の町名板、両替町の北に位置している。
平安京オーバレイマップ
map  両替町旧跡・両替町 〒 京都市伏見区伏見区両替町3丁目 
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