源為義の墓(塚) (京都市下京区)
grave of Minamoto no, Tameyoshi
源為義の墓 源為義の墓 
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「六条判官源為義公塚」の石標


供養塔、五輪塔になっている。


顕彰碑


移設碑、1912年に現在地に移された経緯を記しているらしい。
 七条通の南、権現寺(ごんげん-じ)の細い参道西側に小さな墓地がある。その中に、平安時代の武将・源為義の塚といわれる五輪塔が立っている。 
 為義は保元の乱で敗れ斬首された。処刑は、平城太上天皇の変(薬子の変)以来の死刑再開になった。 
◆歴史年表 平安時代、1156年、源為義は保元の乱に敗れた崇徳上皇(第75代)方に付く。敵対する後白河法皇(第77代)方の長男・義朝により船岡山で処刑される。(『兵範記』)。また、義朝部下の鎌田正清、波多野義通により七条朱雀で殺され、圓覚寺に葬られたともいう。(『保元物語』)
 安土・桃山時代、1596年以前、為義の墓といわれるものが丹波街道(七条通)北(現在地の北東)にあったという。(寺伝)
 江戸時代、1686年、五輪塔は為義の年忌法要に際し、再整備されたという。
 近代、1912年、五輪塔は京都駅操車場拡張工事に伴い、現在の中央卸売市場(下京区朱雀堂ノ口町)より南西の現在の墓地に移された。その際に、五輪塔の下より水輪など石塔の一部が発見される。それらを現在地に積み上げ現在の形に整えたという。(寺伝)
◆源 為義 平安時代後期の武将・源 為義(みなもと-の-ためよし、1096-1156)。男性。通称は六条堀河に住み六条判官。父・源義親(よしちか)の4男。源義家の孫。1108年、父は乱行により平正盛に追討される。為義は、叔父・源義忠の養子になる。悪左府(あくさふ)・藤原頼長の従者になった。1109年、義忠が殺害され、朝命により義家の弟・義綱一族を追討し、その功で左衛門尉に任官した。祖父・義家を継ぎ河内源氏の当主になる。白河法皇(第72代)から第74代・鳥羽天皇の警護に起用される。1135年、瀬戸内海の海賊追討使の候補になるものの、鳥羽上皇は為義を嫌い、平忠盛を任命した。為義は、次第に摂関家・藤原忠実に接近する。1143年、藤原頼長に臣従した。警護・家人取締り・興福寺悪僧の処罰・荘園の管理などを一族と共に担う。1146年、検非違使になった。1150年、忠実が長男・忠通を義絶した際に、東三条殿の警備に当たる。1154年/1155年、為義の子・為朝の九州での乱行により解官された。家督を長子・義朝に譲る。1156年、保元の乱で崇徳上皇(第75代)・藤原頼長方に子・頼賢・為朝らと加わる。第77代・後白河天皇方に付いた義朝と敵対した。夜襲の献策を頼長に退けられ敗北した。潜伏後、延暦寺で出家し義朝への助命嘆願も及ばず、旧7月、義朝により5人の子らと船岡山で斬首される。61歳。
◆保元の乱 平安時代後期、1156年、皇位継承を巡る崇徳上皇(第75代代)と第77代・後白河天皇、さらに摂関家内の藤原頼長と忠通が対立した。
 崇徳上皇・頼長側は源為義・平忠正の軍を頼み、後白河天皇・忠通側は源義朝・平清盛の軍により戦う。崇徳上皇側が敗れ、上皇は讚岐に流され没した。以後、武士が政界に台頭し、政権掌握が700年間続く。
◆死刑執行 平安時代初期、810年、藤原仲成が薬子の変の首謀者として死刑になる。以後、平安時代末期、1156年、保元の乱で源為義らが斬首されるまでの347年間、少なくとも中央政権律令制下で死刑執行はされなかったといわれている。
 1156年の保元の乱では崇徳上皇が敗れた。旧7月28日、まず上皇方の平忠正が処刑される。乱後為義は出家し、一時は敵対する後白河天皇方の実子・義朝を頼ったという。義朝もまた助命嘆願を行っている。だが、最終的には義朝が父兄弟の刑を執行した。旧7月30日、為義は5人の子とともに斬首された。その場所について、有力説として『兵範記』では船岡山、『保元物語』では七条朱雀といわれている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『洛中洛外』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都の寺社505を歩く』、『京都・山城寺院神社大事典』 、ウェブサイト「コトバンク」  


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源為義の墓 京都市下京区朱雀裏畑町 
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