金輪寺 (亀岡市)
Kinrin-ji Temple
金輪寺 金輪寺 
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石段、江戸時代、寛延年間(1748-1751)




本堂


本堂


本堂


本堂



本堂


大瓶束と左右の笈形、虹梁


手狭


大斗、木鼻
 亀岡の南西、丹波篠山に向かう国道372号線から、神尾山(かんのおさん、359m)の九十九折の道を登ると、山の頂付近に金輪寺(きんりんじ)が建つ。山号は神尾山(かみおさん)という。 
 本山修験宗、本尊は薬師如来像。
 口丹波西国三十三所霊場。
◆歴史年表 奈良時代、783年、延暦年間(782-806)とも、西願(せいがん)により創建された。当初は天台宗とした。(寺伝)
 その後、荒廃する。
 平安時代、寛治年間(1087-1094)、高山寺・明恵により再興される。当時は南谷、北谷に一切経蔵ほか多くの坊舎が建ち並んでいたという。現在地は、北谷になる。
 室町時代、1495年、南谷に一切経蔵に関する記述がある。(「後土御門天皇綸旨写」)
 1526年、柳本賢治の兄・香西元盛が細川尹賢の(ざん)により細川高国に殺された。賢治は、波多野稙通と高国に反抗し、神尾寺城に拠って阿波の細川晴元党に呼応した。(『言継卿記』)
 その後、明智光秀(1528?-1582)の丹波攻めの拠点になる。
 1577年、兵火により堂宇の大半を焼失する。
 江戸時代末、住職・大橋黙仙は勤王志士と交流し、当寺は勤王派の拠点になる。
◆明恵 平安時代末期-鎌倉時代の高山寺中興の祖・明恵(みょうえ、1173-1232)。紀州湯浅(有田郡石垣庄)の生まれ。父は武士・平重国、母は湯浅宗重の娘。1180年、8歳で孤児となり、1181年、9歳で神護寺の叔父・上覚の下に入る。仁和寺の尊実、尊印、景雅より真言密教、華厳を学ぶ。上覚、勧修寺の興然より密教を学び灌頂を授けられる。1188年、上覚により出家、東大寺戒壇院で具足戒を受ける。成弁(後高弁)と称した。1193年、東大寺に出仕する。東大寺・尊勝院の聖厳、建仁寺でも学び、華厳、真言、律、禅宗などを体得した。1195年、紀州白上峰に隠遁した。1198年、高雄に戻され文覚より寺再興を託される。白上、筏立(いかたち)に戻る。1199年、高雄、筏立に籠る。1201年、筏立、糸野に移った。1202年、上覚により伝法灌頂を受ける。1203年、天竺行を春日明神の神託により止める。春日神社、笠置に解脱上人を訪ねた。1204年、糸野、神谷、栂尾、紀州・崎山に移る。1205年、神谷で入唐を決したが実現できなかった。栂尾に移る。1206年、高山寺を建立した。1207年、院宣により東大寺尊勝院学頭。1208年、紀州に移り、1210年、栂尾に戻る。1216年、石水院建立、1217年、紀州、1218年、栂尾、賀茂仏光山に移った。1223年、善妙寺建立、1224年、楞迦山蟄居、1226年、紀州、1229年、神護寺講堂供養導師、1231年、紀州施無畏本堂供養、1232年、亡くなり禅堂院に埋葬された。
 明恵は法然とも対立し『摧邪輪(ざいじゃりん)』(1212)で糾弾した。華厳を基礎とし、真言密教も取り入れた厳密(ごんみつ)は、実践的な修行を重んじた。仏の足下より発する光に一体化する仏光観、五秘密法(金剛薩埵・欲、触、愛、慢)を説いた。仮名混じり文『華厳唯心義』を著し、多くの在家女性の読者を得、女人救済に尽力する。建礼門院も明恵により受戒した。『解脱門義聴集記』、自らの見た夢を40年にわたり綴った『夢記(ゆめのき)』(1190-1231)などがある。
◆丹波康頼 平安時代中期の医師・丹波康頼(たんば の やすより、912-995)。丹波天田郡か桑田郡矢田に生まれた。姓は劉芳氏といい、漢よりの渡来人坂上氏ともされる。医術に優れた。針博士、医博士、左衛門佐(さえもんのすけ)兼丹波介などを務めた。現存する最古の漢方医書「医心方」30巻(982)を、隋・唐の医書二百数十部をもとに完成させ、984年、朝廷に献上した。この功により、朝廷から丹波宿禰(すくね)の姓を与えられた。医家丹波氏の祖となる。
 亀岡の医王谷(亀岡市下矢田町)は、康頼が住み、薬草を育てた地との伝承がある。鍬山神社(上矢田町)には、康頼が同社に日参し、医療の神・大国主命に祈願したという江戸時代の古文書が残る。
◆頼三樹三郎 江戸時代末の儒学者・頼三樹三郎(さくらい よりなお、1825-1859)。儒学者・頼山陽の三男、京都に生まれた。父と、1840年、大坂の儒学者・後藤松陰、篠崎小竹ら学び、1843年より江戸に出た。寛永寺の石灯籠を破壊し退学となる。東北、蝦夷地へ行き、松前藩の松浦武四郎と知り合う。1849年、京都に戻り勤王運動に入る。1858年、尊攘と徳川慶喜擁立に動く。安政の大獄で捕縛され、江戸・福山藩邸に幽閉、小塚原刑場で斬首された。
◆桜井頼直 江戸時代末の尊攘運動家・桜井頼直(さくらい よりなお、1824-1868)。美作に生まれる。京都の岩倉具視邸に出入りし、1864年、禁門の変で幕府の嫌疑を受け逃れた。1868、年戊辰戦争で旗奉行として岩倉具定に従い暗殺された。
◆仏像 本尊の「薬師如来像」は江戸時代作の秘仏であり、30年に一度開帳される。
 かつて奈良時代作、丹波康頼の念持仏とされていた薬師如来坐像が安置されていた。康頼の6代後裔・丹波基康により寄進されたものという。その際に、像内に1尺8寸(58cm)の金の仏像が納められていた。鎌倉時代、1240-1250年、金輪寺中興開山・高信の時、薬師如来(73.6cm)は高山寺(右京区)に遷された。高信は明恵の高弟という。像は手に薬壺を持たない。木心乾漆造漆箔。現在は京都国立博物館に保存されている。
 脇侍は、「月光菩薩像」、「日光菩薩像」で東京国立博物館、東京芸術大学にある。
 鎌倉時代、1301年作の仏師・定有による金剛力士立像がある。
 木彫本尊「薬師如来」(1.02m)は盗難により失われた。
◆遺構 南北両谷に極楽坊跡、竹中坊跡、宝蔵坊跡、東柳坊跡など数多く寺坊跡がある。現在、石垣、礎石などの遺構が山中に残されている。
 現在の本堂はかつての北谷の地に建てられている。南北両谷の本堂もここに建てられていたとみられている。
◆文化財 鎌倉時代、1292年の石造五重塔(重文)が立つ。
 南北朝時代の「絹本著色仏涅槃図」(重文)。
 南北朝時代、「天文三年(1382年)」銘の鰐口(仏堂の正面軒先に吊り下げられた円形の仏具)。
 室町時代、1534年の梵鐘などがある。
◆墓・供養塔 神尾山頂近くに立つ五輪塔は平安時代の医師・丹波康頼の供養塔とされている。康頼の6代後の基康が、康頼の念持仏を胎内に納めた薬師如来を寺に寄進し、歴代住職の墓の横に塔が立てられたという。
 本堂脇に供養塔二基が立つ。幕末、大橋黙仙は勤王僧となり、庫裏に勤皇志士が集まり密儀を交わしたという。安政の大獄により処刑された頼三樹三郎、桜井新三頼直の遺髪を持ち帰り黙仙が供養したものという。
◆神尾山城 境内の裏に山城、神尾山城(かんのおさんじょう)が築かれていた。城には、神尾城、神尾寺城、神尾山古城、本目城、本梅城、本免城など多くの呼称がある。
 城の文献初例は、室町時代、1526年で、細川尹賢(ただかた、?-1531)が築城した。柳本賢治(?-1530)の居城となり、その後、明智光秀(1528?-1582)の丹波攻めの拠点になったという。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、光秀が波多野秀治(?-1579)、秀尚(?-1579)兄弟の篠山の八上城攻めの中継基地として城を使ったという。当初、織田信長(1534-1582)の家臣となった波多野兄弟は、1575年、信長に命じられた光秀の軍に加わり、反攻勢力の討伐をした。だが、1576年、黒井城の戦いにより翻り、光秀に反撃した。光秀は八上城に籠城した兄弟を兵糧攻めとし、1579年に降伏させた。この時、光秀は自らの老いた母・お牧の方を人質として差出し兄弟を降した。兄弟は一時、神尾山城に連れて来られたという。その後、安土城に送られ、信長の命により磔となっている。
 山腹に城の遺構として本丸跡、曲輪、石塁、井戸跡、空堀跡などがある。東西100m、南北400mが城跡になる。
◆宮川遺跡 1995年、神尾山の東の山麓で宮川遺跡の発掘調査が行われた。
 弥生時代後期-古墳時代初期の竪穴式住居跡(弥生時代の八角形住居跡など)、6世紀後半-末の横穴式石室1基、中世の堀立柱式建物跡4棟(金輪寺関連ともされる)、そのほか墓、複数の穴(ピット)などが確認された。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 当寺案内板、『京都府の地名』『京都府の歴史散歩 下』『事典 日本の名僧』『増補版 京の医史跡探訪』『京都の地名検証 3』


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花頭窓

鐘楼、室町時代、「天文三年(1534年)」の銘ある梵鐘。


鳥居型の玄関

五重石塔(重文)、鎌倉時代中期、1240年造立とされる。高さ3.75m、花崗岩製。 初層軸部に舟形光背、蓮華座上に四方仏を半肉彫り。各屋根と軸部は別石。

九重石塔(亀岡市指定文化財)、鎌倉時代、「正応五年(1292年)」の銘

頼三樹三郎の供養塔

桜井新三頼直の供養塔

境内向かい、南西の半国山(774.2m)、山頂より丹波の国が半分見えるとして名付けられたという。「丹波富士」とも呼ばれる。山からは愛宕山、嵐山、小塩山、天気が良ければ遠く六甲山、大阪湾まで望めるという。

麓の宮川から見た神尾山
 金輪寺 〒621-0243 亀岡市宮前町宮川神尾山3   0771-26-2142
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