天神神社 (京都府木津川市) 
Tenjin-jinja Shrine
天神神社  天神神社
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拝殿




本殿



本殿



本殿



子守社、勝手社



牛頭社、太子社



恵比須社



総高大明神社
 山城町の神童寺の東、伊賀街道沿いの山麓に、かつて神童寺の鎮守社だった天神神社(てんじん-じんじゃ)がある。社殿は背後の森に包まれ、府文化財環境保全地区に指定されている。 
 勝手明神の社といわれていたという。神童寺創建縁起に関わる二神童、天八百日尊(あめのやおひのみこと)、天三下尊(あめのみさがりのみこと)が祀られている。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 飛鳥時代、675年/676年、役行者が蔵王権現像を麓の精舎に安置し、寺号を神童教護国寺と改めた。役行者の本尊彫刻を援けたという二神童は、天神神社に祀り鎮守社としたという。かつて、神童寺の鎮守社は4社あったという。
◆役行者 飛鳥時代の山岳呪術者・役行者(えん-の-ぎょうじゃ、634?-?)。役小角(えん-の-おづぬ/しょうかく)、役の優婆塞(えん-の-うばそく)、役君(えのきみ)。大和国(奈良県)に生まれた。賀茂一族(高賀茂朝臣)の出身ともいう。生駒山、葛城山、大峰、熊野で修行した。吉野金峰山を開く。32歳の時、葛城山で孔雀明王の像を岩窟に安置し、持呪観法したという。699年、弟子・韓国広足(からくに-の-ひろたり)は、役行者が妖言を吐いたと密告し、伊豆国に流罪にされる。701年、赦された。数多くの呪術的な伝承が残された。富士山、九州の山々で苦行し、前鬼、後鬼の二鬼を従えたという。神仏調和を唱え、真言密教の呪法を使う仏道修行者、呪術に優れた神仙、道教の医術方術に習熟した行者とさる。修験道の開祖になる。
 平安時代初期-中期以降、山岳信仰、密教と結びつき伝説が生まれた。江戸時代、1799年、朝廷より神変大菩薩の勅諡号が贈られた。
◆祭神 ◈本社に二神童、天八百日尊、天三下尊が祀られているとみられる。
 ◈末社に子守社・勝手社、牛頭社・太子社、 恵比須社、総高大明神社を確認できる。
 ◈本社・金刀比羅宮、末社に天満宮、恵比寿社、牛頭・太子・金精を一社に祀るともいう。(『山城町史本編』)
◆伝承 飛鳥時代、675年/676年、役行者が寺を訪れ、鷲峯山で57日間の行法後、谷に下りての行中に童子が現れた。傍らの石楠花は霊木であり、これで仏を刻み、衆生済度せよと言う。自らを子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ)の四神(子守、勝手、金精の三神とも)と名乗り、常に樹を守護すると言い残して天に飛び去った。
 役行者は37日間祈り続け、満願の日の暁に大地鳴動した。地中が光明を放ち忿怒の形相の蔵王権現が顕れ、やがて虚空に消える。役行者はすぐに石楠花の木で蔵王権現を刻む。南方より二人の神童が現れこれを援けたため、像は忽ちにして完成した。神童は自らを天八百日尊(あめのやおひのみこと)、天三下尊(あめのみさがりのみこと)と名乗り、永く伽藍を擁護すると伝え、去った。
 役行者は蔵王権現像を麓の精舎に安置した。寺号も二神童に因み、神童教護国寺に改めた。これら六神を勧請し、そのうちの四神(子守、勝手、金精、佐抛)を伽藍の守護神とし境内に祀った。二神童は、寺の鎮守社として天神神社に祀ったという。(『北吉野山神童寺縁起』)。
◆神像 3体の神像がある。
 ◈「男神坐像」(61.4cm)は、鎌倉時代作の唐装像になる。木造彩色、玉眼嵌入、束帯像、寄木造。
 ◈同じく唐装像の「女神像」(53㎝)は、男神像と一具とみられる。鎌倉時代作、木造彩色、玉眼嵌入、寄木造。
 ◈「武装神坐像」(70.5cm)は、室町時代作になる。木造彩色の甲冑を纏い、彫眼、寄木造。
◆建築 ◈「本殿」(府登録)は、室町時代に建立された。
 三間社流造、正面に一間の向拝。
◆石造文化財 ◈境内に「十三重石塔」(4.15m)が立つ。鎌倉時代、「建治三丁丑十月三日(1277)」の銘がある。一部欠失ある。ほぼ建立当初のままという。花崗岩製。
 ◈伊賀街道筋の小祠の岩壁に、不動明王像(北向不動尊)がある。弘法大師自刻ともいう。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 説明板



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map 天神神社 〒619-0203 京都府木津川市山城町神童子不晴谷 
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