天神神社 (京都府木津川市) 
Tenjin-jinja Shrine
天神神社  天神神社
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拝殿




本殿
 山城町の神童寺の東、伊賀街道沿いの山麓に、かつて神童寺の鎮守社だった天神神社(てんじん じんじゃ)がある。社殿は背後の森に包まれ、府文化財環境保全地区に指定されている。 
 かつて、勝手明神の社といわれていたという。神童寺創建縁起に関わる二神童、天八百日尊(あめのやおひのみこと)、天三下尊(あめのみさがりのみこと)が祀られている。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 飛鳥時代、675年(676年とも)、役行者が蔵王権現像を麓の精舎に安置し、寺号を神童教護国寺と改めた。役行者の本尊彫刻を援けたという二神童は、天神神社に祀り鎮守社としたという。かつて、神童寺の鎮守社は4社あったという。
◆祭神 本社に二神童、天八百日尊、天三下尊が祀られているとみられる。末社に子守社・勝手社、牛頭社・太子社、 恵比須社、総高大明神社を確認できる。
 また、本社・金刀比羅宮、末社に天満宮、恵比寿社、牛頭・太子・金精を一社に祀るともいう。(『山城町史本編』)
◆伝承 飛鳥時代、675年(676年とも)、役行者が寺を訪れ鷲峯山で57日間の行法後、谷に下りての行中に童子が現れた。傍らの石楠花は霊木であり、これで仏を刻み、衆生済度せよと言う。自らを子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ)の四神(子守、勝手、金精の三神とも)と名乗り、常に樹を守護すると言い残して天に飛び去った。役行者は37日間祈り続け、満願の日の暁に大地鳴動した。地中が光明を放ち忿怒の形相の蔵王権現が顕れ、やがて虚空に消えた。役行者はすぐに石楠花の木で蔵王権現を刻んだ。南方より二人の神童が現れこれを援けたため、像は忽ちにして完成した。神童は自らを天八百日尊(あめのやおひのみこと)、天三下尊(あめのみさがりのみこと)と名乗り、永く伽藍を擁護すると伝え、去った。
 役行者は蔵王権現像を麓の精舎に安置し、寺号も二神童に因み神童教護国寺と改めた。これら六神を勧請し、そのうちの四神(子守、勝手、金精、佐抛)を伽藍の守護神とし境内に祀った。二神童は、寺の鎮守社として天神神社に祀ったという。(『北吉野山神童寺縁起』)。
◆役行者 7、8世紀(7世紀末)の伝説的な修験道開祖・役行者(生没年不詳)。詳細不明。大和国に生まれた。賀茂一族(高賀茂朝臣)の出身ともいう。役小角(えんのおづぬ)、役の優婆塞(うばそく)とも呼ばれる。生駒山、葛城山、大峰、熊野で修行した。吉野金峰山、大峰を開く。699年弟子・韓国連広足に密告され伊豆国に流罪にされる。701年赦される。数多くの呪術的な伝承が残され、修験道と結びついた。富士山、九州の山々で苦行し、前鬼、後鬼の二鬼を従えたという。
 後世、江戸時代、1799年、朝廷より神変大菩薩の諡号が贈られた。
◆神像 3体の神像がある。鎌倉時代作の男神坐像(61.4cm)は、木造彩色、玉眼嵌入、束帯像、寄木造。
 同じく唐装像の女神像(53㎝)は男神像と一具とみられる。鎌倉時代、木造彩色、玉眼嵌入、寄木造。
 室町時代の木造彩色の武装神坐像(70.5cm)は、甲冑を纏い、彫眼、寄木造。
◆建築 本殿(府登録)は、室町時代、三間社流造、正面に一間の向拝。
◆石造文化財 境内に十三重石塔(4.15m)が立つ。鎌倉時代、「建治三丁丑十月三日(1277)」の銘がある。一部欠失あるがほぼ建立当初のままという。花崗岩製。
 伊賀街道筋の小祠の岩壁に、不動明王像(北向不動尊)がある。弘法大師自刻ともいう。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明板



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本殿

本殿

子守社、勝手社

牛頭社、太子社

恵比須社

総高大明神社
map 天神神社 〒619-0203 京都府木津川市山城町神童子不晴谷 
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