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善法律寺 (京都府八幡市) Zemporitsu-ji Temple |
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善法律寺 | 善法律寺 |
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![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() ![]() 宝塔 ![]() 宝塔 |
善法律寺(ぜんぽうりつ-じ)は、石清水八幡宮の南東に位置している。楓の植栽が多いことから「紅葉寺(もみじでら)」ともいう。善法寺家より西に位置していたため、「西の寺」ともいわれた。山号は男山という。 奈良唐招提寺末寺、律宗。本尊は僧形八幡神像(八幡菩薩)。 ◆歴史年表 鎌倉時代、正嘉年間(1257-1259)、石清水八幡宮37代検校・善法寺宮清は、私宅を僧房に改め、奈良東大寺の円照(実相)を開山とした。家号善法寺と律宗により寺号は、「善法律寺」とした。(寺伝) 室町時代、善法寺通清の娘・紀良子が2代将軍・足利義詮の妻になり、義満を産む。以後、将軍家との関係を深め隆盛した。義満、義教、義政らが度々参詣した。 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、石清水八幡宮より、八幡大菩薩神像(僧形八幡)などが遷されている。 ◆円照 鎌倉時代前期-中期の律宗の僧・円照(えんしょう、1221-1277)。男性。父・東大寺厳寛、戒壇院中道聖守の弟。号は実相。叡尊・円爾・良忠・覚盛・良遍などに師事、三論・法相・天台・真言密教・禅など8宗を修めた。1251年、東大寺戒壇院院主、1258年、造東大寺大勧進に就き、戒壇院の中興開山になる。善法寺宮清も帰依した。57歳。 ◆紀良子 南北朝時代-室町時代前期の紀良子(きの-りょうし/よしこ、1336-1413)。女性。号は北向、法号は洪恩院殿月海如光禅定尼。 父・石清水八幡宮検校・善法寺通清、母・智泉聖通(ちせん-しょうつう)(第84代・順徳天皇の皇子・四辻宮善統親王の孫)。姉妹に後円融天皇生母・紀仲子、伊達政宗正室・輪王寺殿。室町幕府2代将軍・足利義詮(よしあきら)の側室になる。1358年、3代将軍・義満、1364年、弟・満詮らを産む。1381年、従二位、1413年、従一位に叙せられた。臨済宗の春屋妙葩(しゅんおく-みょうは)に帰依した。78歳。 良子の母が皇統の血をひくとされ、義満皇胤説が生まれた。義満の左大臣昇進、皇室接近の要因とされる。義満は八幡宮を崇敬し、6代将軍・義教、8代将軍・義政もたびたび八幡宮を参詣した。将軍家と善法寺家との深い関係が続いた。 ◆仏像 ◈本堂の本尊の「八幡菩薩神像(僧形八幡像)」は、かつて神仏習合期の石清水八幡宮に安置されていた。近代、1868年の神仏分離令後の廃仏棄釈により遷された。平安時代末期作(鎌倉時代とも)、等身大彩色坐像、左手に宝珠、右手に錫杖を持つ。 ◈脇侍は等身大の「不動明王像」「愛染明王像」であり、いずれも鎌倉時代の作になる。神仏混交期の面影が残る。玉眼、彩色。 ◈奥殿の「宝冠阿弥陀如来坐像」は、南北朝時代(鎌倉時代とも)の作という。石清水八幡宮の極楽寺宿院頓宮より遷された。 ◈鎌倉時代作の「千手観音菩薩立像」などがある。 ◆建築 本堂、庫裡、阿弥陀堂、聖天堂がある。 「本堂」は、鎌倉時代中期-後期、弘安年間(1278-1288)、石清水八幡宮仮殿を移したという。内陣は高御倉(たかみくら、床の高い倉庫の意)と呼ぶ。方5間、入母屋造、本瓦葺。 ◆文化財 室町時代の絹本著色「僧形八幡像」1幅、室町時代の「行教和尚像」1幅、岸駒筆の屏風「孔雀図」2曲1双。 ◆石仏 「五輪石塔」は、大乗院より遷されたという。鎌倉時代作になる。 石地蔵が放生池の畔に立つ。 ◆祭儀 かつて、八幡宮降誕会の大法儀が寺に伝えられていたという。その後、廃絶する。壬生寺に伝えられたともいう。 ◆紅葉 紀良子は、紅葉の樹を境内に多く寄進した。以来、「紅葉寺とも称された。いまも紅葉の名所になっている。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『昭和京都名所図会 6 洛南』、『京都大知典』、『京都大事典』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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