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恵光寺 (京都市左京区) Eko-ji Temple |
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恵光寺 | 恵光寺 |
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![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() 地蔵堂 ![]() ![]() 鐘楼 ![]() ![]() ![]() 石仏 ![]() 中央の三体 ![]() 石仏群の傍の湧水 |
静原の恵光寺(えこうじ、惠光寺)の境内には、鎌倉時代の石仏群がある。山号は慈雲山(じうんざん)という。 浄土宗西山禅林寺派。本尊は阿弥陀仏。 境内には複数の石仏が安置されている。安産祈願の信仰があり、安産御守真綿が授与される。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 平安時代、948年、現在地付近に、智空慶寿法尼(智空旭光法尼)が、自名より慶寿庵と名付けた庵を結んだという。 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592) 、光空明道が恵光寺を中興したという。境内は、市原鞍馬川北向山山麓にあった。 1576年、恵光寺の中興開山・光空明道が亡くなる。 江戸時代、元禄年間(1688-1703)/1688年、京極西林寺4世・学僧の空覚上人が恵光寺に隠居し、再興する。 正徳年間(1704-1715) /1711年/1725年/1752年、恵光寺が再興されたともいう。 近代、明治期(1868-1912)初期まで、無住となる。 1879年、慶寿庵と恵光寺が合併し、現在地に恵光寺が建立される。 1882年、永観堂より高垣観融が普山する。 1884年、岐阜・葛谷亮玄上人が20歳で27世に就く。 1914年、堂宇が再興される。 1920年、鐘楼が建立される。 1944年、釣鐘が戦時金属供出された。 1945年、第二次世界大戦中、桂小学校が疎開した。 現代、1955年、釣鐘が再鋳される。 1983年、堂宇が再建された。 2009年、鐘楼を改築する。 ◆智空慶寿法尼 平安時代中期の尼僧・智空慶寿法尼(?-?)。詳細不明。948年、この地に、自名に因み慶寿庵を結んだという。 ◆光空明道 安土・桃山時代の僧・光空明道(?-1576)。詳細不明。天正年間(1573-1592) 、恵光寺(市原鞍馬川北向山山麓)を中興したという。 ◆安産地蔵尊 本堂北の地蔵堂には、本尊の安産地蔵尊、両脇に数多くの小さな千体地蔵が安置されている。本尊は「北向きのお地蔵さま」、「安産のお地蔵さま」などと呼ばれている。 地蔵が被る真綿を切り取り、産婦の腹をさすると安産するとの信仰がある。 ◆石仏 境内北の崖地に10数体の石仏群がある。 ◈ 「弥勒菩薩坐像(釈迦如来とも)」は中央にあり一番大きい。鎌倉時代後期作とされる。舟形光背であり、右手は腹の前で掌を見せ、左はひざ上に置く。肉髷が高い。厚肉彫り、像高1.5m、花崗岩製。 ◈ 「阿弥陀如来坐像」は、左右の2体であり、鎌倉時代後期作とみられる。舟形光背で定印を結ぶ。像高85㎝、花崗岩製。 ◈ ほかに3体の小仏が並び、造立時代は鎌倉時代以降ともいう。阿弥陀坐像であり、定印を結ぶ。 詳細は不明、静原の補陀落寺より遷されたともいう。(『山州名跡志』巻6) ◆結婚式 仏前結婚式が挙げられる。 ◆修行体験 写経と法話の会(第2土曜日14:00-16:00、8月休会)。般若心経の読経、短い静座、写経、法話、お茶も頂ける。 ◆年間行事 修正会(1月2日)、春彼岸法要(3月彼岸)、盂蘭盆行事(墓参り、棚経)(8月7日-16日)、盆施餓鬼法要(8月15日)、地蔵盆(8月23日)、秋彼岸法要(9月彼岸)、十夜法要(11月14日)、お身拭い式(12月第3か第4日曜日)、大晦日除夜の鐘(12月31日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京の石仏美術めぐり』、『昭和京都名所図会 3 洛北』、『こころ美しく京のお寺で修行体験』 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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