岩神神社(岩神祠、岩神社) (京都市上京区) 
Iwagami-jinja Shrine
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巨岩の岩神さん


背後

 岩神神社(いわがみ じんじゃ)は、岩神祠(いわがみし/いわがみ の ほこら)、「岩神さん」「岩上神社」とも呼ばれる。 
 ご神体として、高さ1.7m、幅1.5mの赤みを帯びた巨石(チャート)が祀られている。平安時代以降、子育て神として、授乳神として信仰された。
◆歴史年表 創建・経緯の詳細は不明。
 かつて石は、二条堀川辺りにあったという。平安時代、冷泉院(二条城北東)の庭の中島に祀られていた中山社にあったともいう。(当社由緒、『古事談』)
 鎌倉時代、1214年、火災以降、冷泉院に遷されたともいう。(「山城名勝志」)
 その後、六角通(岩上通六角付近)に遷されたともいう。(当社由緒)
 安土・桃山時代末期、聚楽城(聚楽第)山里の仮山にあったという。(『雍州府志』)
 安土・桃山時代-江戸時代、中和門院(後水尾天皇女御)の御所(現在の二条城内)に遷され、池の畔に置かれた。その後、北御門(東山区?)の辺に置かれたともいう。(「山城名勝志」)。中和門院では怪異が続いた。門外に出されると、夜な夜な禿童と化して徘徊したという。(『菟芸泥赴』)
 また、1602年、二条城造営にあたり、二条城南東の岩上町(岩上通六角付近)の中山神社に遷される。(中山神社由緒)。石は、社僧が管理し神宮寺の岩上寺と称していたという。(『坊目誌』)。また、岩神寺の本尊として祀ったともいう。(『雍州府志』)。また、石は大き過ぎて動かず旧地にとどまった、聚楽第の山里にあったともいう。
 また、江戸時代、1630年、中和門院内で怪異現象が続くとして、女官らが真言宗の僧・蓮乗院を召した。僧は石を貰い受け、聖天の辻子(現在地、上京区)に遷して祀ったという。寺は有乳山(うにゅうざん)岩上寺と号した。石神寺(石神社)と称したともいう。以後、岩上さんと呼ばれ、授乳、子育ての信仰を集めたという。(当社由緒、『雍州府志』)
 また、岩神町から内裏(御所、上京区)に遷され、築山の立石に使われた。怪異現象があり、安土・桃山時代-江戸時代、さらに八条宮御所(今出川門)に捨てられたともいう。(『京雀』)
 1730年、西陣焼けで焼失する。(『西陣天狗筆記』)
 1788年、天明の大火で類焼し、一堂だけとなる。その後衰退する。(『翁草』『坊目誌』)
 近代、1868年、明治期(1868-1912)とも、神仏分離令後の廃仏毀釈により廃寺になり、巨石だけが残された。(当社由緒)
 大正期(1912-1926)、織物業の千切屋が敷地内に祠に石を祀り、岩上神社(岩上祠<いわがみし>)とした。(当社由緒)
◆伝承 巨石は、二条城の南にあり、内裏の築山に遷そうとした際に吠えたという。小僧に化け、神泉苑で怪をなした。子供に化け「禿童(かぶろ)石」と呼ばれたという。
 かつて二条堀川辺りにあったといい、中和門院(後水尾天皇女御)の御所に遷した。だが、怪異が起き、真言僧が当地に遷し、岩神寺の本尊として祀ったという。
◆冷泉院 冷泉院は、平安時代の天皇累代の後院(ごいん)、譲位後の御所だった。大内裏の東(現在の二条城北東)に隣接し、左京二条二坊、大宮大路の東・二条大路の北4町を占めた。弘仁年間(810-824)に離宮となる。当初は冷然院と呼ばれ、954年の再建以来、冷泉院と改称された。第52代・嵯峨天皇、第70代・後冷泉天皇の里内裏にもなった。1055年に一条院へ移築された。
◆中和門院 安土桃山から江戸初期の后妃・中和門院(1575-1630)。第107代・後陽成天皇の女御。第108代・後水尾天皇の生母。近衛前久の娘。関白・豊臣秀吉の養女として入内し南北朝時代以来復活した女御となる。清子内親王(後陽成天皇皇女)以下多くの皇子女を産む。天皇没後、院号宣下を受け女院となる。皇子女の教育、東福門院の入内、後水尾天皇の譲位など江戸幕府と折衝した。墓所は泉涌寺にある。
◆千切屋 京都呉服の老舗・千切屋(ちきりや)。江戸時代、1725年、長野与兵衛により中京区高倉三条下ル丸屋町で創業された。当初の屋号「謄屋」で、裃、風呂敷、麻などを商った。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都歴史案内』『京都の自然ふしぎ見聞録』『雍州府志』、当社由緒



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扁額


井桁
 岩神神社 〒602-8482 京都市上京区大黒町,上立売通浄福寺東入る北側 
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